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もしもピカソが父だったら(著作権保護期間延長の弊害とは)

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色々考えているうちにタイミングを逸してしまいましたが^_^;、著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラムが開催されたそうです(CNetより)。私は、以前から「そんなに長い必要はない」と漠然と考えていましたし、今でも延長には反対です。たとえば、期限付権利としては特許権というものがあり、企業のビジネス基盤となっていますが、登録料を払っても20年しか維持できません(医薬品は延長できることがあるようですが、これは臨床試験などに追加の期間が必要なため)。期間が限定されるのは、新規性のある技術などについて一定期間の独占権を認めて投資を回収し、利益を生み出させる代わりに、その後の利用を促進するためです。これに対して、メディア企業のビジネス基盤である音楽(原盤)や映画は登録料も要りませんし、現在でも50年間とずっと長く保護されています。まるでメディア企業を優遇しているかのようです(「そうだそうだ」と言われないよう補足すると、特許がビジネスだけを前提にしているのに対し、著作物は文化的な存在なので、差があるのは当然です)

著作権切れの作品を提供している青空文庫は、当然のことながら期間延長に反対しています。そして、署名を求めているページからは「延長派、慎重派、それぞれのワケ」というページにリンクされています。賛成派の意見には、それこそ意図的と思われるくらいの理由が並んでいるのですが、慎重派の理由を見て少し考えてしまいました。ここにある「なぜ作家の遺族だけが不労所得を得るのか」と「映画、文学、音楽、現代美術、落語など、古典の翻案・脚色から傑作が生まれた例は数知れない」といった理由は果たして正当なものでしょうか。

著作権で保護されるものは、要は複製を禁止する権利です。つまり、複製できないものは、保護する必要はありません。たとえば、絵画は真似て書くことはできますが、同じものを複製できるわけではありません。私の父親がピカソで、すぐれた絵画を残してくれたなら、これは自分で保管している限り、いつまでも所有権を維持できます(絵画の資産価値が相続税の対象になるうることは、しばらく忘れてください)。誰かがピカソの絵を“複製”することはできるかもしれませんが(その意味での著作権はあるでしょうが)、結局は“贋作”でオリジナルの価値はありません。これが文字や楽譜のように複製したものがオリジナルと同じ価値をもつ著作物と違うところです。

私は本物のピカソの絵を飾る美術館を建てて、絵を見たい人から入館料を取ることで、画家の遺族として不労所得を得続けることができるわけです。遺族が不労所得を得ることができるのは作家には限りません。子孫のために美田を残さずとはいいますが、親の努力によって、ある人たちに資産や権利が残るというのは資本主義社会では普通のことです。現在の著作権法が解釈論として「財産ではない」としても、立法論として「財産権とする」ことはありうる話です(現実的かどうかは別)。

また、古典の翻案・脚色から傑作が生まれた例は数知れないというのは事実でしょうが、これらは著作権切れを待つ必要があったのでしょうか。賛成派の理由にあるとおり、そもそも著作権はアイデアを保護しません。かつて大河ドラマ『武蔵』が黒澤映画『七人の侍』に酷使したシーンやエピソードが使われているということで訴えられたことがありましたが、著作権侵害にあたらないとして棄却されました。著作権が守ってくれるのはオリジナルの作品そのもの(一部の場合も含む)であり、それをもとに“新たな作品”を生み出すことまでは制約しないのです。最後の方には「一括の許諾システムや報酬請求権化は、現実に過去ほとんど実現しなかった」という記述がありますが、これが延長慎重派の意見として紹介されているのは興味深いところです。

そもそも無料でなければ“芸術”に触れられないということはありません。少なくとも世の中に出回っているものであれば、対価を払って著作物を読んだり、視聴したりできるのです。本物の絵画を見るために遠くの美術館に行く人だっているでしょう。スミソニアン美術館&博物館に行くため“だけ”にアメリカ(ワシントンDC)に行った人もいました。幼い頃からプロの演奏家に教わったり、お金を出して楽器を買ったり、映画館に通ったり、音楽プレーヤーを買ったりする人がいて、その中から創作する意欲が生まれ、アーティストが登場するのでしょう。あえて皮肉を言えば、Winny で沢山の音楽が無料で聴けたからアーティストになれましたという人はいるのでしょうか(あるいは登場するのでしょうか)。もし、アーティストの卵を金銭的に支援する必要があるなら、そうした活動こそを充実させるべきではないでしょうか。

そして結局、私自身が反対すべき理由として行き着いたのは「そもそも著作物に触れる機会が損なわれかねない」ということです。慎重派の理由に挙げられていた相続人が増える件もそうでしょう。ピカソの絵画ならば、普通「どこにあるか」(誰が所有しているか)さえ明らかであれば、作品が欲しいなら、その所有者に連絡すればよいのに対し、著作物の権利が分散してしまっては誰かが公開しようとしても許諾を取りにくくなります。あるいは、先日書いた「少年ドラマシリーズ」のように著作者自身が著作物を保存していないもの(かつ著作者がそれを探したり公開の努力をしないもの)、あるいは廃盤になった音楽や再放送されない映像など、「どこかにあるかもしれないけれど著作権が残る限り正当には公開できない著作物」に触れる機会は、保護期間内には訪れません(YouTube に不正に公開されているかもしれませんが)。それこそ後者のように誰も積極的に権利を主張しない著作物なら、保護期間を短くしてほしいくらいです。

その点では、ローレンス・レッシグ氏が提案しているという「孤児作品に対処する仕組みとして50年経過したら1ドルを支払う」という手法は合理的だと思います。実際には、著作物を管理する側に過大な負荷をかけないため、ある程度の手数料は取ってもよいと思います。ビジネスを前提にした特許という仕組みはそのように動いているわけですし、著作物によるビジネスを守りたいのであれば多少のコストは支払ってもよいはずです。実のところ、改革派合意のもとで保護期間を延長できるわけですからメディア企業側にとってそれほど不利益があるとも思えません(私がレッシグ氏の提案を勘違いしているのでなければ)。

もちろん、この手法が定着すると保護したいすべての国での手続きが必要になり個人ベースではわずらわしいものになります。しかし、需要があれば、そうした業務を代行する業者があらわれるかもしれません。また、デフォルト期間(50年かそれ以下)は手続きなしで保護されるものとすれば現状よりも悪くなるわけではありません。もともと個人が著作者になる場合は公表時ではなく死亡時で起算されますから、長期間保護を受けるわけですし、遺族に適当な“利益”がもたらされる著作物なら、それに見合うコストは負担してもらってもよいと思います。そして、このような手続きがなされるなら「相続による権利者の分散」も避けられるはずです。

ちなみに、現実には途中で触れた相続税によって遺族の不労所得は損なわれていくかもしれませんが、wikipedia によれば、相続税のない国(スイス)や廃止予定の国(韓国、アメリカ)があるそうですね。詳しく調べていませんが、これらは住み慣れた土地に住み続けるとか、祖先の生み出した財産を保持し続けられるという点で意味があるのかもしれません。

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