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篠山紀信、写真を語る

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篠山紀信さんのインタビューを読みました。

篠山紀信さんが撮られるヌード写真は、私は全くの専門外ですが、このインタビューで語られていることには非常に納得しました。

以下、引用しながら感想を述べます。

「(デジカメは)技術的にはもうフィルムに追いついていますよ。それでもやっぱりフィルムがいいとか、カメラはライカじゃなくちゃ、などとこだわる気持ちは、あまりよく分からない。写真は過去を写すわけにはいかなくて、今の時代を撮るしかない。だったら、今の道具を使うのが一番いいと思いますけどね」

篠山さんは常に新しいテーマを撮るために新しい表現を積極的に使っており、最近はデジカメを使っています。

私も最近になって作品作りも完全にデジカメへ移行して、このことは実感します。銀塩フィルムでの画像と、デジカメでの画像は、明らかに時代感が違います。

以前書いたこちらのエントリーの画像を比較いただくと、その違いが分かるのではないでしょうか?

「(写真は)白いキャンパスに絵を描いたり、まっさらの五線譜に音符を書き込んでいくようなクリエイティブなものとは違います。その時代が生んだ何かを見つけてきて、カメラという機械を使って撮るのが写真。純粋なアートじゃないんですよ」

「写真はアートか?」ということは常に議論になっていますが、このことを明快に語っておられますね。

この年末に、20年間東京湾岸の移り変わりを写してきた作品を改めて見直して、私もまさに「時代性を反映するのが写真」と思っていたところです。

「時代が生んだおもしろいコトやモノや人を、一番いい場所から、一番いいタイミングで、『いいとこ撮り』しちゃう。それができるのが、いいカメラマンなんです。神様が降りてくるというか、幸運なめぐり合わせを待つしかない部分っていうのが、写真にはありますね」

「....時代を見抜く力と、それを作品化する欲望さえ持っていれば、写真は永遠に撮り続けられます。ネタが枯れてしまうなんてことはあり得ませんね」

「....ピュアな好奇心を持っていさえすれば、目の前に転がっているものが何でもおもしろく見えてくるはずです」

まさに「写真小僧」の面目躍如といった感じですが、この「好奇心」と「欲望」は、我々も常に持ち続けていたいですね。

「神様が降りてくる」という瞬間は、いい作品を撮っている瞬間に私もよく感じます。私が好きなサラ・ムーンも同じことを言っています。

新年早々、写真を撮るエネルギーをもらったような気がします。

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