これからの時代を言葉でつむぐビジョナリ―ブロガー

ポスト3.11の生き方:『降りる思想』

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今話題になってきているブータン。農業によるエコロジカルな社会を唱えた安藤昌益。文化人類学者の辻信一氏と、江戸学者の田中優子氏のトークイベントがあると聞き、「3.11後どう生きるのかを問う」というタイトルのトークイベントに参加してきました。
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(告知文より)
3.11の1年後、二人は、生きるためのしなやかな思想として「降りる思想」を提唱し、語りあいました。「今、なぜ降りることが必要とされているのか」、「『降りる』とは何を意味するのか」。それからさらに10ヶ月近くが過ぎた今、「降りる思想」を再び二人で語りあいます。ブータンの再探訪記、安藤昌益(江戸時代中期の医者・思想家)について、また12月の選挙結果を踏まえた日本の今後など。「降りる思想」の深化をお聞きください。
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まず、「降りる」という言葉について。これは方向、ベクトルについての話ですね。明治以降の近代化においては、「前向き」「上向き」ばかりが尊重されてきました。その中で、「後ろ向き」「下向き」というベクトルは疎んじられてきたと、田中氏は言います。開国後は、「脱亜入欧」をスローガンに、西洋に追いつけ追い越せと、その調子で日本の近代化は進んだと。近代化の意味とは、一言で言うと、「あるべき基準が自分の外にあるということ」顕著なのは、田中氏による平塚らいてうの父親の話でしょうか。彼女の父親は、明治以後、武士から高級官吏になったそうで、「これからは西洋文化」ということで、ドレスを着せたり、娘に英語の勉強をさせたりしたそうです。ところが、日清戦争が始まり、ナショナリズムの機運が高まると、大学で英語を学びたいというらいてうに大反対したそうです。これこそ、近代化する男性の象徴だ、と田中氏は言います。「とにかく勝てばいい」「とにかく一番になればいい」、ただしその土俵のルールを決めるのは西欧であると。これを鶴見俊輔は「一番病」と呼んでいました。これを示す例の一つが、「ノーベル賞」なのだそう。(いやぁ、この話は面白かった!)昨年、ノーベル医学・生理学賞を京大の山中教授が受賞しました。それを朝日新聞は、1面含む4面を使って大々的に取り上げ、それで日本の男性はだいぶ元気になったんじゃないか(笑)と、辻氏。

「降りる」という話に戻りますが、まずはこの土俵から降りましょうと辻氏は言います。問題は、「どこに降りるのか」、ということ。いくつかアイデアがありましたが、興味深かったのは、「心のcommonsを作る」ということ。まずは、私たちが、周囲の人や、次の世代のために、という心を持っているかどうかを問いましょう。多少の不便を我慢しても、次の世代のために環境に配慮すること。電車で席を譲ること。そういう心の態度を自分たちが持っているかどうかが、まず大切だと辻氏は言います。その考え方を、空間の問題としてとらえてみると、日本は、〈私〉と〈公〉の空間で埋め詰められている。それを顕著に示しているのは、国境ですよね。アフリカの国境はなぜあれほど真っ直ぐなのか。海の上の国境は誰がいつ何のために作ったのか。人工的に国と国を隔てる境界線を引いていく。これが近代国家のやり方です。国の中では、私有地。どこからどこまでが、誰の土地なのかを明確にしていく。公園や、道は、自治体のもの。公共の場で、あれをしてはいけない、これはしてはいけないというルールがたくさんある。曖昧さは全て排除されてしまっている。「たた、ベンチは、本当の公共物なんです」と、辻氏は嬉しそうに語っていた。辻氏は、最近「坐・ベンチャーズ」という名のグループを作ったそうで、世界中のベンチの写真をとり、facebookにあげていくとのこと。

最後にガンジーの言葉を。「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(思考の枠組み)でそれを解決することはできない。」3.11以後、新しい社会の物差しが必要になってきています。

ちなみに、トークイベント参加者はだいたい50人程度でしょうか。ほとんどが高齢の方で、2割程度、僕と同じくらいの20代の方がいましたー。ちょっとくたびれたサラリーマン男性もいて、どんな心境でこのイベントに参加していたのでしょうか―。
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