セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

規律のない国

»

例の危険なタックルをした選手が、選手に戻るらしい。監督から指示されて仕方なしにやったことであり、自ら進んで記者会見も行ったし、被害者との間でも特にもめ事はないようだから、本人の人生を考えて、という趣旨だと推察する。確かに、「罪を憎んで人を憎まず」というし、刑事については、一番重要なことは更生だとされている。更に、監督・コーチという巨悪の存在もあり、判官びいきの我が国は、マスコミも含めて「良かった」ということになっているようだ。

だが、本当にこれで良いのか?もちろん最終的に扱いは検察なり、当事者なりの判断によるものだが、意思能力ある成人の人間が、場合によって命に関わる可能性のある危険行為を行い、実際に障害を与えたのだ。とすれば、刑事事件とはならないにしても、本人の自覚を促し、選手に戻ることは出来ないくらいの厳しい対応があっても全くおかしくはないと私は考える。アメフットが出来なくとも、本当にこの件を教訓にすれば、様々な新たなチャレンジが出来るはずだし、そのような気持ちで踏み出してほしいと思うのだ。

以前に、六本木の森ビルで回転ドアに飛び込んで挟まれ、亡くなった子供がいたが、これも実際には子供がスライディングの遊びをしていたものらしい。それを、同伴していた母親は、話に夢中で放置していたとすれば、マスコミでは母親がかわいそうという論調になっていたがこれが正しいのか?米国であれば、きちんと管理すべき立場にいる母親の責任として、母親が刑事責任を取ることになるような事案ではないか?何も、何でも攻め立てれば良いというものではないが、どうもこの手の事件について、あまりに情緒的な、しかも一方的な対応が目立つのは、我が国の規律という面で心配だ。

このような風潮が森加計問題の温床にもなったのではないか?もっと大変な仕事をしているし、本人が関わったかどうかも分からないし、経済運営もそこそこうまく行っているのだから、余計なことに時間を使うべきではない、との主張も聞いたことがある。しかし、私は益々劣化する我が国国民に対して、もう一度原理原則に立ち戻って考えてほしいと申し上げたい。戦争反対、軍備反対、核兵器反対、基地は自分のところは嫌、だがそんな国民を、他国の若者が本当に守ってくれるのか?この間とある経営者と話をしていて、意見が食い違ったのだが、彼は私と同じようにきちんと自衛だけを目的とした軍隊を持つべきだとした後で、やはり抑止力として核も持つべきだと言っていた。深遠な議論をする時期だろう。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する