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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

社会の仕組みはどう変わるのか?

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色々と投資案件に関わると、様々な紛争めいたことが起こる。特に米国では、すぐに訴訟の話が出てくるし、所謂敵対的な行為が行われる。だが、企業に投資するのは、通常その理念や事業の方向性に可能性を見出したからであり、何か予想外のことが発生した場合は、これをどう企業の将来性を守るために処理するかということが、最初のやるべきことであるはずだ。だが、何故か企業の将来よりも、自分の利益だけを考える投資家が多い。

これは、最近は我が国でも徐々に顕著になりつつあるような気がしている。そして、すぐに法律論争になる。私も、少しだけ法律を学んだが、とても不思議だったのは、色々と出てくる判例は、どう考えても通常起こり得ないような異常なケースが多いということだ。つまり通常は、まともな人間が何らかの法律関係に入れば、相応に常識的に対応するので、何か起こっても、これをどうお互いに困らないように進めるかと協議しながら考えるのが通常だということだ。だから、裁判になるケースは、基本的にはかなりおかしな人たちのケースということになる。

ところが、最近は必ずしもそうではなくなってきている、という印象がある。会社の社会へのサステイナブルな貢献を支え、或いは人間関係を相応に友好裡に進めるということの方が、どう考えても全体として無駄が少なくストレスもないと思うのだが、このままではよりギスギスした社会になっていくように感じる。国家間を見ても、ロシアに対するMI6、中米の貿易紛争、北朝鮮などなど世界はまた20世紀の泥沼に戻りつつあるようだ。やはり人類にとって戦争や紛争は避けられないのだろうか?

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