セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

どんな社会にするつもりなのか?

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毎度同じような話題で恐縮だが、結局共謀罪も成立し、この中間報告を活用した強引な採決や、森友、加計問題を含めて、現政権の驕りが指摘されている。

しかし、そもそもマスコミも指摘するだけでなく、より事実をきちんと踏まえ、国民にこれを伝えて結果として国民的な運動にまで結び付けることが出来なかったという点で、反省すべき点は多いと考える。

高度成長の後の、経済の停滞の中で、平成元禄というか、ある意味クールジャパンではないが文化的側面で日本は評価されてきているようには思うが、一方で厳しい時代を経験した世代が徐々に世を去り、そうは言っても豊かな、平和な、そしてネットの普及をベースとした一見自由な環境の中で、今直面している危機に対する感性が落ちているとすれば、警鐘を鳴らすべき点は多々あるのではないか?

オリンピック開催のために共謀罪は不可欠、テロを阻止するために不可欠、というが、現在でもかなりの程度公安は動いているのであって、この共謀罪があることで、何か本当に出来るようになるのか、また、逆に何が国民にとって制約となるのか、人権を制限することになるとすれば、このことを明確に国民に対して示すことが必要ではないか?

令状もなしに捜査が出来るというのは、憲法上も想定していないことであり、過去にも任意捜査の限界について、多くの行き過ぎ捜査の判例があることも踏まえて、国民を巻き込んだ慎重な議論がされるべきだが、どうも最近は刑事法に限らず法律のでき方が不透明だ。

これも繰り返し指摘していることだが、やはり我が国は法治国家という概念が薄く、官が民に指示・指導をするという形が多いように感じる。そしてそれが、結果として国民の側の責任感のなさにもつながり、一方で必要以上の行政依存にもつながっているように思う。

だが、国民が自分たちのコミュニティについては、自分である程度必要なことに参加し、それを決めていく方が、コストも下がるのではないか?企業経営についても、様々な細部に亘る規制やルールを作るのではなく、ある意味で自由に経営を行い、それが結果として消費者や社会のためになっているかどうかで、自ずから優勝劣敗が決まるということで良いのではないか?

もちろん不祥事などが起きてはいけないのだが、どれだけ規制やルールを決めても、結局は事件がなくなるわけではないし、逆にルールに従えばよいという無責任な運営にもつながる可能性がある。パターナリズムで、事細かに指導しないといけない社会をそろそろ脱却したい。

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