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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

根本理念の欠如

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このところドタバタでタイミングがずれ、短文で恐縮だが、取り急ぎおもいつくまま。

まず、教育勅語の教材活用が戦前回帰ではないとする官房長官の会見は、どう考えてもおかしいと思う。何も教育勅語を使わなくとも必要と考えられる同じ内容は伝えられるのであって、敢えて亡霊たる教育勅語を復活させることには、大きな危険を感じる。

次に、米国のシリア空爆への無条件の賛同。確かに、シリア政府が化学兵器を使った可能性は高いようだが、だとすればその証拠をきちんと示して国連の場で議論をした上で、対応すべきであり、米国大統領がリーダーシップを誇示する目的は分かるとして、これに国連主義の我が国が単純に賛同するというのは、わが国外交の原則を外れており、大きな問題だと感じる。

一方で、主権者教育が必要で、各都道府県に協議会を設置するという話もあった。行政が主権者教育を行うということ自体、完全な矛盾であり、政府に都合の良い主権者教育が行われる危険性が高く、国家優越的な考え方の延長線上と感じる。今一度立憲主義に立ち返って、考えてみるべきではないか?

その意味で、浜渦氏の証言に対する報道を含めて、不透明さを感じる。直接存じ上げているわけではないし、浜渦氏が副知事時代は極めて強い権力を持っていたと言われていたことは覚えている。また、豊洲問題について、本当に何があったのかは分からないが、彼の証言が単純に元都の官僚の区長によって覆されるという論理が不明だ。私は、どちらが正しいかは知らないが、所謂政治家が悪で、官僚が正しいと考える前提は本当に間違いないのか?この区長は都の後東京ガスにいたのではないか?より癒着が考えられるのではないか?もっときちんと公正な目で見て、結論を出す必要があるのではないか?何だか、議会もマスコミも、予定調和のように一つの方向性を目指すところに我が国の危うさを感じるのは私だけだろうか?

小池新党に対するある意味必要以上の期待や評価は、まさに彼女がその場にいた日本新党の時、そして民主党政権誕生の時と同じ付和雷同型を彷彿とさせる。このような社会・政治のあり方が本当の主権者のあるべき姿だとは到底思えない。真実を見極める目、本当の国民の幸せを考える気持ちを醸成すべきではないか?

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