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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

我が国には国際社会への貢献という理念はないのか?

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若者たちは、何とか途上国の貧しい人たちの役に立てないかと、NGOの活動に参加したりしている。だが、日本社会全体として、本当に国際社会に少しでも貢献しようという気持ちはあるのだろうか?CSRも、どちらかというと仕方ないから、或いは宣伝効果を狙って、そして国としてはODAを出しているから良い、JICAがやっているから良い、という雰囲気ではないか?

リオ五輪の閉会式で、スーパーマリオになった首相には驚いた。誰の企画か分からないが、私からするとあまりに外し過ぎで、滑稽ですらある。もちろんスーパーマリオの認知度は国際社会においても高いし、日本のアニメ・ゲームに関する技術を示すものでもある。だが、オリンピックって、一体どんな目的で開催されているのか、そして日本という国は、国際社会にどのような貢献をしたいのか、という点において、全く訴えるもののない思いつきの表現としか思えないのだ。

併せて、リオ五輪の終了後、早速東京五輪をどう進めるかというような議論がテレビなどでも行われているが、結局コストをどう削減するかということと、五輪を箱モノだけでなくどのように持続的な成長に結びつけるか、という話題に終始する。もちろんコストは重要だし、それが開催後も効率的且つ意味ある形で利用されることは大事だ。だが、世界平和を目指したオリンピックの意義に心致すとき、未だ先進国の一員である我が国が自国の成長や利益だけを考えるというのには大きな違和感を感じる。

オリンピックを先進国が開催するということは、言わばその国がオリンピックを通じて国際平和に、或いはその他の国際的な価値に貢献するということであり、国際社会に存在するコストだと考えても良いのであり、ただただ削減するのではなく、このような意義を踏まえてどう最低限の費用で成果を出すか、ということを真剣に議論すべきだ。我が国が主張すべきは、アニメでもゲームでもなく、世界の平和をどう実現するか、世界の貧困をどう解決するか、世界の環境をどう守るか、ということではないのか?

丁度ケニヤでTICADが開催されており、知人のアライアンスフォーラム財団の原丈人氏が、公益資本主義の話をしてアフリカ諸国から賛同の声が上がったというメモを送ってきた。企業の付加価値は株主だけでなく普くステイクホルダーに分配されるべきで、企業の持続的成長と社会への貢献を可能とするため継続的・長期的な投資を可能とする経営が望ましい、というものだが、最近内外で賛同の声が上がりつつある。

この公益資本主義が良いかどうかは別にして、世界の混沌の中で今こそ我が国が新たな考え方や方法を考え、世界に貢献すべきではないのか?世界の人々に対する思いのない、自国のコストを削減することだけを考え、その経済効果だけに関心を示す、レベルの低い演出しかできないのであれば、私は東京五輪は辞退すべきだと思う。未だ何が起きているか分からず、その解決方法も分からない福島原発を、さほど遠くないところに抱える東京が、本気で世界中の人々にお出でいただきたいのだとすれば、一体何をすべきか、そのこと一つとってもアイデアは出てくるのではないか?

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