オルタナティブ・ブログ > マイク丹治の「グローバル・アイ」 >

 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

本当に国民主権の社会を!

»

リオ・オリンピックが閉会を迎える。今回は、日本は過去最高のメダルということで盛り上がっている。早速テレビでもその要因分析などという議論がされ、国の施策が取り上げられたりしている。しかし、オリンピックに参加するのは、スポーツをやっている主に若者たちであり、例えば練習場所がないとか、練習に集中できる経済的な余裕がないとかいう場合に、支援が必要なのは事実だろうが、これは全面的に政府の施策で行うべきものなのか?

一応政府自体とは区分されているものの、体育協会なる行政お抱えの団体があり、更に各種競技ごとに団体がある。大雑把に言えばここに政府からの資金が流れる仕組みになっていると理解しているが、そもそもこの流れや団体の運営は大丈夫なのか?様々な団体で不祥事があったのは記憶に新しいところ。加えてオリンピック招致の委員会ですら、不透明な資金を送金する始末。政府や政府関連の団体こそ、もっとも資金の流れが不透明で、正当に使われているかどうか分からないのが実態だ。

これだけ国民全員がオリンピックの報道を目にし、或いは耳にし、そして感動することからして、スポーツが人間の営みの中で大きな意義を有することは間違いないし、また、オリンピックの平和の祭典という意義も考えれば、よりスポーツに携わる人々を支援する仕組みが必要だと思う。ただ、それは政府のお仕着せではなく、実際にスポーツに感動し、それを支援したいと考える国民が自らもっと積極的に進めるべきではないのか?そしてそれを可能とする、より柔軟な国民の寄付の所得控除の仕組みなどが必要なのではないか?

オリンピックのメダルの増加について、頭書のようなプログラムしか考えられないマスコミの愚かさにはいつもながら驚かされる。マスコミ自体が国民主権、民主主義をいうものの意義をもっとよく理解しなければ、マスコミの民主主義を支える存在としての意義を問われるのではないか?そして、またSMAPの解散について、その経済効果が600億を超えるという報道がなされたりする。数値の正確性などはさておいて、そもそも単にちょっとマルチに活動しているタレントがグループを解散するだけで、個々人としての活動は続けるのだし、特に才能があるわけでもなく単に事務所とマスコミの戦術で有名になっただけのグループについて大騒ぎすること自体意味が分からない。

要は、このグループがいなくなると、テレビを中心としたマスコミが、これまでより一層芸人・タレント・テレビ局・広告代理店という限られたグループでの収益独占をしずらくなるというだけのことだと考えるし、おもてなしとか心を大事にするとか言いながら、我が国は世界でも有数の何でもお金に換算する国になっていないか?何でも経済効果で語り、何でもこれを政府主導で解決するしかないと考えるおかしな国からそろそろ脱却したい。日本のあるべき民主主義は、おそらくお金だけでなく助け合いの部分を大事にし、そして社会が、国民が自ら創意工夫をしながら社会をより良くしている、そんなものだと思っている。

つい先日、釜山の空港でフライトを待っていたら、山ほどの購入した免税品を袋から出して、これをスーツケースに詰め込んでいる中国人を見た。この人は、おそらく30以上ある袋を空港のロビーで開封して、中身を出し、袋や中の明細書はそのままフロアに放置したまま、席を立った。清掃係が困っていたことはもちろんだ。中国は、経済的に世界二位となり、世界中にその力を誇示しようとしている。だが、残念ながら民度はこの人をベースに考えればまだまだ低開発国レベルと言わざるを得ない。中国自体の長い歴史の中で、王朝が他民族によって滅ぼされたり、或いは大戦前に欧米列強に侵食された経験を生かせば、その本当の理由が何だったのか、再考することが出来るのではないか?

そして、我が国が間違ってもこのような恥ずかしい行為を世界に見せる国にはならないようにと祈りたい。少なくとも我が国は、明治維新の前後で欧米から学ぶことで列強の侵略を免れた歴史を持っている。今後は、何でも学ぶということではなく、自ら創り出すことが求められていると思うが、是非日本から人民主権と世界の平和につながる新たな社会の在り方を発信できるように期待したい。

Comment(0)