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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

謙虚さが必要ではないか?

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とあるアジアの国の、政府関係者や企業関係者と、日本の政府関係者、企業関係者の対話の場に行ってきた。短い時間で様々な課題を議論していて、盛りだくさんの中で次のステップへ向けて具体的な進め方が提示されるなど、双方の政府関係者の努力の跡は見えたのだが、どうも日本の企業関係者の論点や議論が、自分たちの論理だけで一方的であったのと、あくまで投資としての効率やリスク回避を中心にものを考えているようなのが気になった。

もちろん、大事な会社の資産を投じるわけなので、出来る限り効率的で安全であるに越したことはないが、そもそもその場の議論の目的が相互協力である以上、もう少し謙虚であって良いし、他国へ出ていく以上様々な制度・文化の違いがあることは当然で、それを折り込んだ上で進出しているのではないか?

何となく、相変わらず日本は一流国という自己過信というか、上から目線での発言のように感じたのは私だけだろうか?更に言えば、一番大事なことは、投資を通じてその国に貢献することであって、その為には単に投資をして収益を得るのではなく、投資がその国民の自立とそれを踏まえた経済成長に繋がるべきことであり、投資をしたら雇用が生まれるとか、便利になるとか、表面的なことだけに関心があるような気がしてならない。

最近、保育園の不足が喧伝され、一方で保育園が出来るとうるさいから嫌だ、というような風潮もあるようだ。市川市の事例は、もう少し複雑で、事前の準備や相談が不足していたということなのかもしれないが、どうも最近身勝手な行動が多いようにも感じる。昔は、回りに子供たちがたくさんいて、確かにうるさかったかもしれないが、それを社会全体で守っていたのではないか?その良さが失われて、犯罪などに結びついている部分はないのか?

驚いたのは、うつ伏せに寝かせて死亡という事例。確かに、時々様子を見に行く必要があっただろうと思うが、そもそも仰向けに寝かせるというのが世界標準とは言えない。欧米はうつ伏せであり、但し当然呼吸の問題があるので、顔を横にする、だから頭の形が前後に長くなる、というのは常識だ。私の子供達も、最初の子供は日本で、二人目は日本式中心に、そして三人目はアメリカ式にしたので、頭の形が同じ血筋なのに全く異なる。

何でも自分流ではなく、ほかのやり方の良さ、悪さ、或いはどうするかなどももっと謙虚に理解しようとすれば、問題は少なくなるのではないか、と思うのだ。

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