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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

祭りばかりで本当に良いのか?

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何だか、原理原則がなくなってきているような気がする。例えば、オーストラリアが韓国一国の規模の大牧場を中国の企業に売却するそうだ。まあ、オーストラリアの勝手だし、そもそも国土も広い上に、ある意味植民国家なので良いのではとも思うが、そう言えば我が国のトマムも中国企業に買収されるのだったなと思い起こす。運営自体は引き続き星野リゾートがやるようだが、結局金融資本主義の下で、国土がお金儲けの手段として海外に売り渡されるということか?もちろん私有権を尊重する仕組みの中で生きてはいるのだが、一方で外国人の土地保有を禁じる国も多々あることを考えると、どちらが良いのか、と気になるし、そのあたりのきちんとした原理原則を、今の世界情勢を見て考えてみる必要はないのか?

就職活動解禁日が突然2か月前倒し。そもそも所謂青田買いを防ぐ、或いは学生が就職活動に追われて勉学に集中できないから、解禁を遅らせたのではないか?何が必要で何が目的なのか、原理原則がはっきりしていないから、このような朝令暮改が起こるのではないか?学生に対しても気の毒だし、政治まで関与して見苦しいったらない。私が、社会人になったころは、まだ企業側にも規律があったような気がする。ましてや、杭打ちデータ事件で、お互いに責任を擦り合う建設会社と下請け会社の記者会見は情けないの一言だ。企業として、何を目的にしているのか、だとすれば何が間違っていたのか、それにどのような責任があるか、まともな経営者がいれば多分発言する内容は一つしかないのではないか?

このところ、ハロウィーンがやたらの盛り上がりだ。仮装パーティが出来るということで、一つの若者の祭りとして盛んになり、昨年は交通渋滞やゴミの問題も発生したが、今年は随分参加者も素晴らしい対応をしたようだ。ただ、これはそもそもケルト人の夏の終わりと秋の収穫を祝う祭りであり、一方で悪霊退散を祈るものでもあるので、何となくこれとまったく離れて仮装の部分だけが流行することに若干の違和感を感じる。

私自身は、米国に住んでいた時代があるので、ハロウィーンはもちろん慣れているが、もともとキリスト教のものでもなく、近所の間での子供向けの行事のような感じでもう少し落ち着いたものという印象だ。海外の風習を持ってきて、それを自国の祭りとして楽しむこと自体否定するものではないが、だとすれば我が国にも秋祭りはあるし、私自身は良く知らないが仮装めいた地域の行事もあると思うので、もう少し社会や文化と結び付けられないのか、と感じる次第だ。

この伝で言えば、クリスマスもそうで、もちろんロックフェラーセンターのクリスマスツリーは既に飾られたようだが、一方でクリスマスシーズンの突入は、サンクスギビングの後からという理解の私からして、もうクリスマス気分になりつつある我が国はちょっと異常に感じる。サンクスギビングの方は、ピルグリム時代からのもののようで、同じく収穫を祝い、一方で冬入りの印であるとともに神への感謝を家族で集まって表すものでもある。だから、こちらの方は、キリストの降誕祭であるクリスマスとの整合性もあり、その意味でも一応順序があるような気がする。

これも、もちろん日本人が勝手に祝い、デートをしプレゼントを交換するのは自由だが、私が子供のころは、どちらかというと家でケーキを食べ、親が子供にプレゼントをくれる、というオリジナルに少し近いものだったような気がする。そして、クリスマスは祝うにしても、もう一つ指摘したいのは、正月だ。

これは他のメールニュースなどにも以前書いたことがあるが、やはり正月の風情がなくなって久しい。これはコンビニなどが正月も空いているようになったことなどもあるが、とにかく静かに家で家族で集まり、近くの神社にお参りし、凧揚げ、羽子板というような以前のイメージがなくなってしまった。それどころか、そもそも門松もほとんど見られないし、車の松飾も商業車両だけ。祭り気分のクリスマスが益々隆盛を誇り、静かに一年の計を考える正月の風習が廃れるのは、我が国の政治家や企業経営者が、そもそも原理原則から外れていっていることと深く関係しているのではないか?

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