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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

国家とは何か?

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安保法制が国会を通過した。今後施行へ向けて進んでいくわけだが、この議論の過程で、憲法との関係や、国際法下の自衛権についての考え方、さらには現在の国連の政治的性格なども、国会で議論されたり、或いは私が自らのブログで主張してきた。

ところで、我が国の安全保障が議論されており、さらには国際法における国家の権利が議論されているのだが、では国家とは何だろうか?私は国際法の専門家ではないが、一般的には領土、国民、政府或いは統治機構などが、国家成立の条件だと言われているようだ。そして、更に対外的というか国際社会との関係で言えば、他国による国家承認が重要な要素でもあるようだ。

確かに、現在世界の中で有力な地位を占めているかのように見える国家、例えば米国、中国、ドイツ、ロシア、フランス、イギリスなどは、上記の基本的要件は満たしている。だが、それぞれの歴史を考えると、国家自体の淵源は大きく異なるように思える。

米国は、欧州のカトリック教会に対抗する意味で海を渡った人々が、当初は本国の植民地として北米を開拓し、その後に独立したものだ。その意味で、一見政教分離しているようで、宗教としてのキリスト教の影響は極めて強い。また、その国際戦略は、侵略型というより、自国の利害に関係する地域に対する干渉主義であり、その根源にキリスト教的な価値観と、経済的な利益追求がある。

中国は、幾度となくモンゴルや満州人によって、漢民族の国家が征服され、またそれが元に戻るという関係であって、国家としての統一性も今後の永続性にも歴史的には大きな疑義が残る上に、明らかに歴史的に見て拡大主義、征服主義がその根源と考えられる。ただ、常に肥沃な中原を目指してきたのが最近までの歴史だが、ここに来て海洋進出にも関心を広げている。元々は版図拡大型だったが、徐々に経済的な利益追求型に変わっているようだ。

これらに対して我が国はどうか?最近までの、科学技術などのレベルでは、海に囲まれた我が国は特に海外の関心を大きくは呼ばず、結果として必然的に独立国家であった関係と言って良いかもしれない。明治の開国の時も、当時の海洋技術などからすれば、日本に侵攻して征服することは、そもそも手間がかかる上に、征服後も当時先進国であった欧米諸国からすると、距離的にも離れていて、統治が大変ということだったのだろう。

その意味で、我が国はあまり国家としての独立を真剣に考える環境にいなかった。歴史的に見れば、秀吉の際に朝鮮半島から満州に攻め入ったことはあったし、第二次大戦前の満州をはじめとした各地への進出は、ある意味で版図拡大志向でもあり、また資源確保という経済的利益の追求でったとも考えられるが、国家としての淵源は自然発生的なものと言える

要は、最大公約数的に要件を定義すれば先に述べたようになるが、実はそれぞれの国が、宗教であったり、民族であったり、国際政治情勢であったり、戦争の結果であったり、全く異なる理由で国家となっているのであって、これを同一に論じることにそもそも限界があるのではないか?そして、それぞれが、様々な理由で周辺国などと対立構造にあり、それが紛争や国家間の戦争にまでつながる。

20世紀は、戦争の世紀と呼ばれ、1945年の国連の成立と、その後の米国を中心とした国際社会の監視システムの下で、国際平和が実現すると期待された時期もあったが、結果として21世紀はより一層戦争の世紀だ。そして、それは先に述べたように国家というものの淵源の大きな違い、さらにはそれにも関わらず第二次大戦の結果という一つの要因だけで、国際社会を取りまとめようとした無理にも由来していると考えられる。

平和な国際社会をどう作るか、中韓においても長期にわたり意図的な嫌日教育が行われているように、世界中で一つの社会で生育することが、その地域なり国家の持つ過去の歴史をそのまま或いは歪んで取り入れることにつながり、紛争の根源となっているとすれば、これだけ物理的移動が容易になったことを生かして、偏向する前に他者との接触を大きくし、その共通点を認識し、共感するような機会を作り出すことでしかないのではないか?

それが、クーベルタン男爵がオリンピックを提唱した理由だと私は思っている。地震の危険、さらには管理できていない原子力の危険がある我が国に世界から人々をお呼びすることには大きな不安はあるが、東京オリンピックの機会に、第二次世界大戦敗戦を経験し、更に原爆投下を経験した国として、その基本精神に貢献するとすれば、これからの世代に対して、どれだけお互いを知り合い、共感し合う機会を提供するかということではないか?

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