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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

社会、家庭、学校、マスコミの責務

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この週末は用事が多いので、簡単に。

この間、とある大学の博士課程でいつも行っている集中講義をしたが、たまたま仕事の同僚の若手を一緒に連れて行っており、後で自分の講義についての感想を聞かされて感じたのが、要は国民はきちんと今ある我が国の情勢を聞かされていないということだ。

もちろん個々人の意識不足や勉強不足もあると思うが、それ以上に情報があふれている中で、報道にしても学校教育にしても、すべてが断片的で全体の図式が示されず、個別の現象面を捉えただけのものなので、結果として国民の意識改革につながらないのだと思う。

今般の自民党議員のマスコミを懲らしめるべきだという発言に対する現象を捉えて、藤代さんというジャーナリストが、このようなこと自体が高度な世論操作なのだということを指摘しておられたが、あながち穿ちすぎとも思えない。確かに、誰かが不始末をしでかし、これを処分することで何となく片が付いた感が醸成され、これが何度か続くと同様の事象にはあまり反応しなくなる我々がいる。

安保法制について合憲とおっしゃっている学者の方々が、国際法と憲法の関係をわかっていないとか、憲法解釈は最高裁判例だとか主張されているのを聞くと、同じような現象だと感じるのは私だけだろうか?国際法で認められる権利があるのは事実だが、国民が制定した憲法でこれを否定することは当然に認められており、平和憲法という我が国憲法の特性からして、これは当然のこと。

また、個別事件での憲法解釈は確かに最高裁だが、憲法自体の改正にかかわることは、立憲主義の原則からして当然のごとく主権者たる国民にのみ存するのであり、このように断片的な分野の議論を踏まえて、我が国の憲法がどのような位置づけなのかという原理原則、ビッグピクチャーを忘れてしまうところに、我が国の課題があるような気がする。

先日も触れたロボット選手権での我が国の惨敗も、このような縦割りというか全体を見通す力が不足していることに起因するのではないか?そして、それが企業の経営などにも影響を与えているような気がしてならない。ひたすらに欧米から与えられる課題に、一つ一つ個別に対応し続けることによって、一見個別の指標は達成できているように見えて、実は企業経営の体をなしていない、それが相当部分の大手企業の実態ではないか?

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