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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

社会で子供の命を守る

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今週は週末がドタバタなので、簡単に。

先日ウェブのニュースで、神奈川県で17歳までで所在が不明の子供が49人いるという記事が出ていた。神奈川は人口も多いが、横浜や川崎などの指令指定都市は除くとなるとかなり限定される。そして、児童相談所の管轄対象の3千人強に占める割合はかなり高い。

詳細は、良く分からないが、家出してしまった子供なども含まれているので、一律に論じることは出来ない。ただ、一つの原因として、両親が家にいると強弁すれば、なかなか踏み込めないというわが国特有の問題が指摘される。

確かに、子供を育てるのは親権者の重要jな役割であり、その限りにおいて基本的には親に任せるしかないというのが本則だろう。だが、この調査のきっかけとなった事件を始めとして、昨今子供の死が放置されているケースも目立っており、本当にこのままで良いのかという気もする。

子供たちは、親の子供であると同時に、一人の人間としてその生命・身体を保護されるべきものだからだ。以前にも、六本木ヒルズで回転ドアに頭を挟まれて死亡した子供がいたケースで、ただ企業側の責任が問われたことがあるが、これとて近くにいた親の責任を全く無視して良いのか、わが国をめぐる子供の命の尊厳に関わる考え方を改めて考えてみる必要を感じる。

パチンコ屋に親が行っている間に、ライターで遊んでいたのか、車の中で焼け死んだ子供たちもいた。これとて、ライターがより子供にとって安全な仕様に改善されたのは良いとして、自分の楽しみにために、子供を車に閉じ込め、しかもライターを放置するという行為をどう考えるべきなのか?

海外の考え方がすべて正しいと限るわけでもないが、わが国ではコンサートなども子供を連れていくことが出来、これが騒ぐという事態が起きる。長時間のフライトなど子供に耐えられるわけでもないのに、平気で海外旅行に乳児を連れて行く。居酒屋で、小さな子供を連れて深夜まで歌っている若い夫婦も見かける。

更に、高校生のアルバイトの報酬が、大人と遜色ない水準だ。つまり、一方で子供を親の持ち物のように扱う一方、社会的には子供を大人に近い環境に平気で置いている。このような社会における子供の位置づけが、子供の生命・身体の保護、成長などにとって相応しいのか、一度考えてみても良いのではないか?

そして、以前村社会の中で、社会で子供を育て守っていた時代の良い部分があったのではないか、ということも改めて見直してみたい。子供は、少なくとも親の持ち物ではない、一人の人格を持った人間なのだから。

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