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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

本当の意味の成熟社会とは?

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このところ、何となく報道を見ていて、嫌な気分になる事件が多い。そして、たまたまかもしれないが、結構日系人や国際結婚による子供たちが関わっている事件が多いような気がするのは気のせいだろうか?

考えてみれば、戦後在日と言われる方々が大変な苦労されたことは、小説などでも紹介されている。私は、周囲にあまりそのような方々がいない地域で育ったようだが、中学・高校では同窓で在日の方もいた。ただ、受験校だったので、ある意味で比較の基準は勉学の成績であり、全くそのようなことを気にすることはなかった。

私の子供たちが小学校在学のころ、帰国子女について、アジアなどから帰国した子供たちはいじめられると聞いたことがある。私は、大阪の大きな団地の小学校で学んだが、商社の社宅などがあり小学校5年生ぐらいで、数名の帰国子女が転校してきたのを覚えている。在留地によって差別というより、そもそも珍しかったし、多分彼らは言葉など苦労していたのだろうが、いずれにしても彼らはどちらかと言えば人気者だった。

ましてや、我々の世代あたりから、帰国子女が音楽や芸能の世界で活躍し始め、現在はテレビを見ると帰国子女或いは国際結婚による子供たちが多く登場する。また、芸能界やスポーツの世界は、そもそも在日の方々が活躍する舞台の一つでもある。その意味で、わが国の社会も相応に成熟してきていると感じてきた。

だが、私の親しい在日の方々の中でも、本当は母国に戻りたいと思っている方もいる一方で、日本に帰化する方もいる。そして、やはり同じ在日の方々の間での付き合いが多くなるところを見ると、どこかにまだ壁があるのかとも思う。

そして、確かに一部の人たちが、芸能界やスポーツなどの世界で成功していると言っても、その陰で苦労している方々は沢山いるということなのだろう。それが、このところのいくつかの事件の背景にあるような気がしてならない。

もちろん犯罪は憎むべきだが、子供のころに顔かたちが違うとか、言葉がうまくしゃべれないとかという環境にいることは、子供自身の責任ではないし、また、例えばアジアからの帰国子女はいじめられるなどというのは、その周囲にいる子供たちの考えでもなかろう。周囲の親などの考えが色濃く反映していると考えざるを得ない。

つまり、やはりわが国の社会が、相変わらず閉鎖的で狭量なことに原因があると言わざるを得ない。そして、このような事件が起きれば起きるほど、より一層閉鎖的な方向に向かうのが世の中の常だ。

考えてみれば、身体障害者のノーマライゼーションという意味でも、わが国は決して進んでいないと理解している。昔、小学校の時に、特殊学級というのがあって、たまにそのクラスの子供たちを不思議な気持ちで見たことを思い出す。

確かに、区別して指導する方が、安全だし、先生方としても対応しやすいのだろうと思うが、やはり当人たちの気持ち、そして他の子供たちの心の教育という意味では同じ環境で学ばせることが望ましい。

生物学は、分類学と生態学に大きく分かれると中学の時に教わった。分類学は、それぞれの生き物が、どこが違うかを探してこれを分類すること、生態学は逆に生き物として共通の部分を見出し、その機能を追求してこれを深めること、その世界の専門ではないので不正確だが、そのように理解している。

そして、この原理は人類の社会にも当てはまると考えている。在日の方々、帰国子女、更には国際結婚による子供たち、それぞれ確かに異なる部分はあり、それを認識し前提として相手の立場を考えることは極めて重要だ。だが、一方で、相違はあっても人間という意味では同じであり、まずはお互いの存在を認め、お互いを人間として尊重し、そして相手の弱いところをお互いに助け合う、ということが必要だと考える。

世界中に、宗教や部族、肌の色、などを要因とした様々な差別がまだまだ残されている。日本は、ある意味で孤立した島国であったため、そのような文化が育ち始めたのは比較的最近で、それまではお互いに助け合う地域社会が育っていたと思われる。

だとすれば、その伝統を生かして、新たに登場した様々なちょっと違う人々と共生していく仕組みは創りやすいのではないか?アメリカにおける奴隷とかインディアン、イスラム圏とキリスト教、更には欧米列強が中東で国境線を引いたなどのような、長い歴史はないのだから、わが国国民が少し成長すれば、きっと素敵な成熟社会が創りだせるような気がする。

よそ者を大事にする「おもてなし」ではなく、同じ仲間として助け合う「おもいやり」が大事なように考える。

 

 

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