シリコンバレーのサムライ・ウルフが、イノベーションについてつぶやきます。(時々吠えることもあります。)

フィデューシャリー・デューティ(受託者責任)

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 昨今、投資顧問による年金消失、老舗企業による会社ぐるみの粉飾などの経済活動の問題や、起こり得ないはずだった原子力発電所事故、規制強化したはずの高速ツアーバスの事故など社会問題が噴出している。日米の投資や経営の現場に触れてきた経験から、その根本原因について気がついたことがある。

 まず参考になるのは、「失敗学」提唱者の畑村洋太郎氏の意見だ。仕事は、基本的・根本的なことと具体的・細かいことの組み合わせでできているが、事故や不祥事があると法令遵守が強調されて、本来の基本的・根本的なことから注意が離れてしまう、という。法令規制、マニュアルだけだと、それぞれの部署の担当での対応となる。守備範囲は明確だが、守備範囲の間にある問題、より上位の問題が起こる時に対応できない。「法令に基づく所管事項ではないから自分がやるべき仕事ではない」と、何も対応しないことが多くなる、と畑村氏は述べている。

 法令と経済的要請、社会的要請との間で乖離・ズレが生じ、法令規則の方ばかり見て、その背後の社会的要請を考えないで対応すると、法令は遵守しているが経済的要請、社会的要請には反しているということが生じる。監督官庁は法令遵守を徹底するために審査と罰則を強化することに終始するから、その乖離・ズレはますます広がる、という悪循環に陥る。

 そこで、Fiduciary Duty(フィデュシャリー・デューティー:受託者責任)の適用を提案したい。

 フィデュシャリー・デューティーとは、もともとの狭義では「家計や年金、機関投資家が運用する資産に関し、それぞれの資産保有者のニーズに即して適切に運用する役割・責任」を意味する。(金融庁)

 例えば、投資ファンドを立ち上げたが、投資環境が変化したり、運営者が当初の計画と違う運営を余儀なくされた場合、運営者は出資者と運営者の間で取り交わした契約を遵守するばかりでなく、投資活動をまずは休止し、当初の目論見から大きく変化した状況を出資者に伝え、最善の策を提案する義務がある。アメリカでは速やかにこの行動を取ることが求められている。

 一方、日本では、誠意を持って努力することが社会規範として求められているので、問題の種を早く表に出せない雰囲気があり、問題を内部で温存してしまいがちだ。

ここで、フィデュシャリー・デューティーの考えを使えば、絶対的な基準でものごとを判断できるようになる。フィデュシャリー・デューティーに詳しい樋口範雄氏によれば、「依頼者の利益を常に優先する忠実義務や、自分の仕事のプロセスを相手にしっかりと説明する義務を問われ」、フィデュシャリー・デューティーは契約よりもより根本的な義務だ。

企業であれば自社の株主、金融機関であれば投資家、官庁であれば納税者の信認を得て活動しているわけであるから、それぞれの受託責任は明確だ。すなわち、株主・投資家・納税者の利益を最大化することを基準に活動し、問題が生じる可能性を察知した場合は、今一度原点に戻って判断するのである。

 樋口氏は、さらに「日本人がグローバル化の掛け声の下、信認関係(フィデュシャリー・リレーション)を抜きにした米国流の契約を表面的に受け入れた結果の歪みが日本社会に現れてきた」と指摘している。

 経済・社会での基本的・根本的な要請から乖離して契約や法令の遵守のほうのみに注意が偏ってしまうことが、様々な経済・社会の営みに於いて制度疲労を起こしているのではなかろうか。そういう意味で、フィデュシャリー・デューティーは、法令遵守の迷路で方向を見失わないための羅針盤として、重要な役割を果たしてくれるはずだ。

(日経産業新聞 2/15/2016)

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