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ハーバードビジネススクールの日本スタッフとして働く中で、気づいたこと、感じたこと、考えたことを、ゆるゆるとつづります。

3歩進んで2歩戻る...日本のケースを作るのは大変です。

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HBSで日本の企業についてのケースを一つ作るだけでも、実はかなりの手間暇がかかっている。私たち日本リサーチ・センターのスタッフが勝手に書けるならいいのだけど、前にも書いたようにケースとはあくまで教材なので、そのケースを使って教える先生が書く、というのが原則。

HBSの先生方は、常人ではとても考えられないほどの、古きよき時代の日本の大学の先生たちの300倍ぐらいのプレッシャーと仕事量の中で、研究と教育にフル稼働で取り組んでいる。ボストンという土地柄もあるのかもしれないけれど、どことなくピューリタン的なストイックさがある。

そんな中で、数日間日本に行き、さらにケースを書くのに結構な時間を使う、という決断に至るには「この企業は本当に面白くて、自分の授業のこういった教育目的にばっちり適合し、さらには自分の研究テーマにもぴったりである」というところまで納得してもらわないといけない。

インドや中国なら、国としての勢いがあるから、行ってみてみるだけで勉強になると思って、出かけていく。でも今の日本だとそうはいかない。つまり納得のハードルが非常に高くなる。

 

まずは、日経ビジネスとか新聞とかで、ここ面白そうだなあと思った企業があったら、例えば知り合いから紹介してもらうなど、無理のない範囲で、アプローチ。役得だといつもしみじみ感謝するのは、「ハーバード・ビジネス・スクールです」というと、たいてい快く会ってくださること。

いきなり社長が出てきてくださることもあり、面食らいつつも、お話を伺って、やはりいい会社だ!ぜひケースにしたい!と改めて惚れなおしたところで、「ケースリード」と呼ばれるメモを作る。どんな企業なのか、ケースの題材としてはどういった観点が面白いか、ケースとなった時の議論のポイントなどをまとめたものだ。それを、学校のデータベースに入れると、定期的に「ケースリード・ニュースレター」というものが先生方に送られ、興味を持った先生が東京にコンタクトしてくるという仕組みになっている。

一方で、先生方が今どういったケースを作りたいと思っているかを理解し、そこから逆算して該当するような企業を探す、という作業も日々行っている。これは、相当シツコくやる。この企業だったらどうか、あの企業だったらどうか、と、いろいろと情報を送り続け、「あ、それなら面白そう」となるまで、あきらめずにやる。2年ぐらいかかることもざら。

日本人的に面白い企業が先生の興味を引くわけではないので、「うん、その企業なら書いてもいいよ」と先生が思ってくれる状態にたどり着くのは、一苦労。でも、何とかそこまでこぎ着けたら、企業側にケースを書かせてもらえるようお願いに行く。かなしいかな、ここでだめになることも結構あって、そりゃあ企業側には断るもっともな理由があるのだけど、それでも、断られたときは、ぐったり脱力。ああ、今までの、売り込みの苦労が...

 

ちょっと余談になるけど、やはり日本の企業のほうが、欧米の企業に比べると、ほんのちょっとでもリスクがあれば、最初からやらない、という傾向が強いように思う。あとは、ビジネススクールでの教育に役立つなら、失敗や課題も含めてケースに書いてもらってもかまわない、むしろそうやって議論してもらえれば、新しい視点も得られるかもしれない、という考えを持つことも少ないようだ。

ケースの作成を認めてくださった企業でも、どうしても自分たちの広報・IR活動の一環のような扱いになってしまって、内容に関しては、IR資料に対するようなチェックが入ることが多い。データもなかなか出してくれない。日本ではビジネススクールの文化が根付いていないからなのか。失敗は真正面から振り返るというよりは、なかったことにする、という風土があるからなのか。

さらに余談だけど、会社としていい感じでうまく回っているところほど、ケースの内容に関して鷹揚だ。間違いも失敗もそりゃあるさ、データだって出します、別に隠すことはないよ、っていう感じで。

 

そんなこんなで、めでたく両者合意となると、正式にケースプロジェクトがスタートする。先生の来日の日程を決め、会社にインタビューのセットアップをお願いし、下調べをする。

インタビューは、テーマにもよるけれど社長と取締役クラスの方々、現場の方々など8-10名くらいを、2-3日ぐらいかけて行う。日本企業の場合、企業幹部といえど、英語ができる人がほとんどいないので、またプロを雇う余裕は一切ないため、へなちょこながら、自分たちがインタビューの逐次通訳をやる。通訳の訓練など受けたことないし、そもそも私、帰国子女じゃないんです!という言い訳にもならない言い訳を常に頭の中で渦巻かせながら、息も絶え絶えに何とかやりこなす。そして、先生と議論して、ケースの主要なテーマや、decision pointと呼ばれる「あなたが主人公だったらこのときにどう決断するか」と読み手を考えさせる質問を決める。

先生がボストンに帰った後、多くの場合において、私たちのほうでドラフトを作成する。それを先生に送って、先生が編集や修正を加え、というのを何度もやりとりして、数ヶ月後、完成したドラフトを、今度は会社に送ってみてもらう。会社側から出たコメントを反映させ、先生にさらにチェックしてもらって、というのもこれまた何度か繰り返し、できたところで、会社から正式な承諾のサインをもらって、晴れて授業での使用、そしてウェブ上での出版、となる。

ケース作成が決まってから、短くて半年、長い時は2年ぐらいだらだらとかかることも。その間、窓口になってくださった企業側の方とは、あのデータがほしいだの、このことを教えてくれだの、ちょっと作成終了まで時間がかかりそうなので我慢して待っていてくださいだの、散々に迷惑をかけまくっているうちに、ずいぶんと仲良くなる。会社のことも、行儀のよいインタビューではわからない、抱えている問題やら人間関係やら社風やら何やら、やたらと詳しくなったりする。このあたりも役得だなあとしみじみすることの一つ。

 

もっと日本のケースをたくさん作らないと、と焦る気持ちもある。ばんばん作って、一つでも多くの日本の企業が、HBSの教材になってほしい。でも、先生も企業も、それぞれの思惑があり、そこが運良くぴたりと一致した時にしか、ケースは生まれない。どんなに間に入った私たちがもがいたところで。だから、ねばり強く、あきらめず、一つ一つの仕事を丁寧にやっていくしか道はない、と言い聞かせている、今日この頃。

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