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ハーバードビジネススクールの日本スタッフとして働く中で、気づいたこと、感じたこと、考えたことを、ゆるゆるとつづります。

東京でハーバード・ビジネス・スクールの仕事をしています。

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 ハーバード・ビジネス・スクールの日本リサーチ・センターというところで働いて、もうすぐ3年と半年ぐらいになる。転職やら留学やら、ぽこぽこと居場所を変えてきた私にとっては、最長在職期間を毎日更新中、といったところ。

 みなさま、はじめまして。

ハーバード・ビジネス・スクール、略称HBS。いろいろなものさしやランキングがあるので、一概には言えないけれど、世界トップのビジネススクールといって問題はない(はず)。MBA2学年で計1800名程度、HBSが提供する企業幹部向けのさまざまなプログラムでは、年間1万人ほどの方が学ぶ。対する教授陣は、これはビジネススクールではおそらく世界最大数の230名ほど。ハーバード大学のメインキャンパスからチャールズ側を挟んだ対岸に、まるで一つの大学並みの壮麗なキャンパスを、ででんと構える。

 HBSで行われる教育や研究をサポートするスタッフの数も1200名ほどいて、私もその一人。でも、大多数のスタッフとは異なり、身は東京の丸の内にある。学生はどんどんグローバル化するのに、先生の研究内容や作成する教材(ケース、と呼ばれる)がいつまでもアメリカばっかりじゃあかんだろう、ということで、90年代後半から、ボストン以外の場所に研究の拠点であるリサーチ・センターを作り始めた。初めての非ボストン拠点は当時沸きに沸いていたシリコンバレー。その後、香港、ブエノスアイレス、東京、パリ、ムンバイと少しずつ拠点の数を増やしてきた。

 2002年にできた日本リサーチ・センター。計5名のちっちゃなオフィスで、私自身、この仕事の求人情報を目にするまで、こんな仕事があるなんて全然知らなかった。よく間違われるのは「ハーバード・ビジネス・レビュー」なのだが、あれはHBSの出版部門が発行しているHarvard Business Reviewを日本向けに多少アレンジして、出版社のダイヤモンド社が代理店として発行している雑誌。私はあくまでも学校直属のスタッフで、レビューとは全く関係がない。なんてこと、外から見れば別にどうだっていい、些細な違いなのだけれど。 

 どんな仕事をしているかというと。一言でいえば、HBS教授陣の日本に関するケース作成やリサーチプロジェクトをサポートする仕事である。ただ、悲しいかな、ジャパン・アズ・ナンバーワンもカイゼンも、もはや遠い、遠い、過去。お隣には、はちゃめちゃに勢いがあってがんがん成長している中国やインドがぶいぶい言っている中で、現在、先生方の日本への興味は、はっきりいって、ほとんど、ない。待っているだけでは、依頼など来ない。

 だから、「日本ではこんなことが起こってますよー!なかなかおもろいですよー!」というのを230名いる先生方に個別にねちねちと伝え続け、しつこく売り込み続け、そして「そこまで言うなら、日本のリサーチをしてみてもいいか」と思ってもらえるところまで何とか持っていく、というのが実は一番重要なミッションだったりする。

 昨今の日本沈没論とか、その裏返しの妙に右翼的な議論とかには、全く興味ないけど、世界中からビジネスについて学び考える人が集まるHBSという場から、日本を消えるままにしていてはいけない!という思いは、やっぱり強くある。

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 ケース、というのは、HBSHBSたらしめている心臓のような存在で、企業やビジネスリーダー、場合によっては金融・産業政策やマクロ経済、歴史など、様々な特定のトピックについて、「自分がこの状況に置かれたらどうするか」ということを学生に考えさせるためにまとめられた20ページほどの教材である。先生が日本にやってきて、一緒に企業に行き、社長以下810名ほどの方にインタビューをさせてもらって、その後も窓口の方に相当なご迷惑をおかけしながら、半年ぐらいで完成させる、というのが一般的なパターン。

 ケースについては、またいつかちゃんと書きたいと思うが、以下ではこれまで私がどういったケースを書いたか、簡単にご紹介。

 人に関するケースから言うと、まず 岩崎弥太郎。「龍馬伝」で一気に注目が高まっている、三菱の創始者だ。近代資本主義の形成に起業家がどういった役割を果たしたか、ということを考える授業のケースとして作成した。

 それから、日航の社長として再建に取り組んでいらっしゃる稲盛和夫京セラ名誉会長。ビジネスリーダーがどのように時代を読み取り経営のかじを切ったかということを学ぶ授業のためのケース。

 二人とも、今や「旬」の人物となり、そのケースを以前書いていたことが、なんとなく嬉しく誇らしい。他には、テンプスタッフ創業者の篠原欣子社長のことも書かせていただいた。

 企業では、医療機器メーカーのテルモ、非公開株投資ファンドのカーライル、SNSのミクシィ、携帯のコンテンツ配信をやっているソニー・デジタル・エンタテインメント、などのケースを書いた。その他、面白どころとしては、江戸時代の堂島米会所における先物取引に関するケース作成にも携わった。

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 ケースと並んでもう一つの仕事の柱がリサーチプロジェクトのサポート。長期の個人研究となると、日本をその対象に入れている先生も多いため、結構頻繁にサポートの依頼がやってくる。といっても、そういった先生のほとんどが、奥さんが日本人かアジア人だったり、昔日本に住んでいたことのある先生だったりするけど。この依頼内容が、見事にてんでばらばら。

 ある時には、特許庁の地下の図書館で、埃の積もった明治時代の特許の資料を、図書館員を総動員してひっくり返して探してみたり。

 ある時には勇気を振り絞って人生初のまんが喫茶に行き、島耕作シリーズを読破し、その中から「グローバルビジネス」に関係する部分を抜き出して、プロットを訳して送ってみたり。(そこで、得た結論は、結局グローバルビジネスも、島耕作にかかれば世界各地の女性との関係構築というところに落ちつく、ということだったが。)

 ある時には中国のアウトソーシング会社を見つけ出して、格安で「就職四季報」の女子雇用関連のデータを5年分入力してもらったり...

 こうやって集めたものが一体全体どこでどうなると研究プロジェクトにつながるのかさっぱりわからないことが多々あるのだが、ちゃんと先生は感謝してくれるので、まあいいのだろう。

 その他、ケース作成や研究サポートに比べて重点は低いが、MBAや企業幹部向けプログラムを検討する方や企業への対応、日本リサーチ・センターとしての広報(というほどのものでもないが)活動、HBS出版部門のサポートなども、ちょこちょことやっている。

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 こんな感じで、一方でHBSの先生方の興味をにらみつつ、一方で日本のことをウォッチしたりいろいろな企業の方との関係を育んだりしつつ、仕事をしている。ボストンと東京のあいだで。そんな日常の中で、考えたこと、気づいたこと、感じたこと、を、ゆるゆると綴っていきたい。どうぞよろしくお願いいたします。

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(HBSキャンパスで見かけたうさぎさん)

 

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