あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

定義を振りかざさずに語ろう、あるいはリーダーシップとは何か

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仕事をしていると、「Aをどうするか議論するためには、まずはAを定義する必要がある」みたいなことを言い出す人がいる。特に僕は変革プロジェクトのコンセプトメイキングを主な仕事にしているので。

一方で、僕らが足し算や掛け算を学び始める小学生の時に、「数とは何か?」を定義できる能力はない。先生の方だって(たぶん)それを充分には分かっていない。むしろ、足し算や掛け算や無理数や虚数を使った問題を説いていくなかで、だんだんと「数とは何か」が分かってくる(またはますます分からなくなる)。

結局のところ、「数とは何か」なんてことが分からなくたって、三角関数を使ってコンピューターグラフィックの計算をしたりビルを立てたりはできる。もっと大事なこととして、「数量的に物事を捉える感覚」みたいなことを掴んで生活に活かすことができる。


僕はずっと「定義をバーンと述べてから何かを語ること」をポリシーとして避けてきた。プロジェクトとは何か、ファシリテーションとは何か、リーダーシップとはなにか、ITとは何か、業務改革とは何か・・。

第一に、定義論はつまらない。定義論が面白いならば、辞書を「あ」から順に読む人はもっと多いはずだ(僕は嫌いじゃないが)。
そして定義を日本語で記述したからと言って、理解が深まるほど読者の読解力は高くない。作者の言語化力がボトルネックの場合もある。
最後に、定義が曖昧でも、その概念を使って思考することも現実の問題解決に活用することもできる。

とはいえ、新し目の概念は最低限「こんな感じのもの」を読者と共有しないと話が進まない。なので、いつも暫定的に、すごくざっくりしたことを書く。例えば、

「業務改革とは、現時点での最適な業務のあり方をゼロベースで構想し、今やっていることからシフトさせること」

「ファシリテーションとは、ゴールに向かってチームをまとめ、推進させること」
みたいな感じだ。


12月に出した「リーダーが育つ変革プロジェクトの教科書」はリーダーシップの本なので、「リーダーシップとはなにか?」は本に通底するテーマだ。そこで本のいろんなところで「プロジェクトでは○○のようにすると、リーダーが育つ。なぜならリーダーシップとは到達したい地点を示し、そこに向かうべく皆を動かすことだからだ」みたいな文章を書いた。
それを読んでくれた同僚が「リーダーシップの定義がいろんなところで微妙に違うのでモヤモヤするんですけど」という感想をくれた。ごもっともである。

何しろ著者である僕自身が、カチッとした定義文を用意していない。リーダーシップみたいなビッグワードは、沢山の側面がある。まるで、目隠しをして象を触った人々が、触った箇所によって「ザラザラしている」「紐がブランブランしている」「つるつるしてる」と別々な感想を持つようなものだ。

だから、1行の定義文ではなく、1冊の本が必要なのだ。
リーダーシップとは、周りの人々のモチベーションを上げることであり、皆が自主的に貢献できるように場を整えることであり、人々のアイディアを引き出すことであり、これから進むべき道を指し示すことであり、成し遂げたいこと(ビジョン)を描いて説いて回ることでもある。すべて、1匹の象の別な側面である。

読者としては、「リーダーシップとは○○のことである」とスパッと言い切ってくれたほうが分かりやすいし、スッキリとしたカタルシスがあるだろう。短期的に自分の能力が上がった気にもなるかもしれない。だがそんなのは錯覚に過ぎない。

僕の新刊は今の所、Amazonのリーダーシップカテゴリで5位から15位あたりをウロウロしていたりするが、たいてい1位はカーネギーの「人を動かす」だ。大昔の本だし、この本には「人を動かすにはこうしろ」とも「リーダーシップとは○○である」とも書いてない(たしか)。
スパッと言い切ってある本が本当に役に立つなら、みなカーネギーのあの回りくどい本など読まないだろう。「人を動かす」を読んだのはもう15年以上前だが、様々なエピソードを積み重ねることで、他人に影響を与えることについて読者に掴ませようとしているのだろうなぁ、という感想を持った。

一方、僕の本では「こういう風にやるといいよ」という方法論、アドバイスを積み上げることで、それを実行することで育まれるリーダーシップとは何なのかを掴んでもらえるような本になっている(もちろん方法論だけじゃなくエピソードも結構書いたけど)。

どちらにせよ、スパッとした定義が必ずしも必要なわけでも、ないと議論できないわけでもないのですよ。

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