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善人は強くなければならない

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 安岡正篤翁の言葉に「善人よ強くなれ」というのがあります。全員が善行を積むことは当たり前で、それゆえ善人と呼ばれるのであって、最も大事なことは、善人が強くなることだと述べています。

 文中ではパスカルの言葉を引用し 「正義が強いか、強いものが正義か、正しい物が強くなるか、強い物が正しくなるか、より外に人間は救われない」とあり、安岡翁は、「救われるためにどうしても善人が強くならなければならない」としています。

 強くなるためには、感情的・感傷的にならずに、線が太くならなければいけないとも述べています。

 戦国時代などの乱世では、力こそ正義でした。勝者がすべて正しい時代です。強さとは、非情になることも必要なのでしょう。感情的・感傷的ではいけないのですね。夜叉の面をかぶり、心で涙する・・・ですか。使い方を間違えれば、とんでもないことになりますけどね。

 金が正義と言う人もいました。それで、時代の寵児ともてはやされ、その後は、奈落の底に突き落とされました。報道の仕方もヒステリックに感じ、嫉妬ともとれ、成功者への妬みとも取れました。表現が、あまりにもストレートであったのが、世間の反発を買ったのでしょうか。

バブルがあって、バブルがはじけて、カリスマ政治家が持て囃され、金持ち父さん貧乏父さんがはやり、それを実現した人が持ち上げられては貶められ、今度は 逆に、スピリチュアルブームが巻き起こり、そして今は、歯に衣を着せぬ発言が受け入れられるようになりました。時代の流れでしょうか。

 その時代時代によって、正義と言うものは変わってくるのでしょうか。本来、正義は不変なもののように思いますがね。物事の本質は見極めなければなりません。善人の定義が難しいです。

 でも、負けてしまえば、正論は消されてしまいます。やはり、安岡翁の言うとおり、善人は勝たなければなりません。

 私は常に、多数決の反対側に、物事の真実が隠されていると思っています。数の論理は、時として暴力となり、正義を覆い隠してしまいます。 それゆえ、正義は、善人は、勝ち続けなければならないのでしょう。そういう意味では、勝った者が正義なのかもしれません。それが民主主義なのでしょうか ね。

 善人は強くなければならない...すごく重い言葉ですね。


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