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facebookのぬるま湯が心地よくなる弊害

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最近facebookの更新が増え、それと比例するようにブログの更新が減っていました。表向きの言い訳としては

忙しくて長い文章を書く時間が取れない。断片的に短くFacebookに書いて、良いネタが合ったらブログに書こうと思っている

ということなのですが、忙しいだけでなく、何となく自分の本心は

オープンな場で炎上したくない。意見が間違っている、未熟だ、ずれてる、などと言われたくない。恥を書きたくない

ということなのじゃないかな、と最近思い始めました。

ネガティブな事を書くという意味ではなく、

私の主張はこうです。

と書く事さえ、しなくなっていました。気がついたらレポートが中心で、あまり自分の意見が表現されていませんでした。

起こった出来事を第三者的に伝えることは大事な事ですが、自分の意見を言わないと、「意見の無い人」「主張の無い人」「考えの無い人」という意思表示になってしまう可能性もありますよね。

更にはその弊害なのか、浅くしか物事を考えなくなり「どうしてそう思うのですか?」と聞かれた時の自分の答えが「深くないな」と思ってしまいました。じっくりと考えないので、深く意味を考える習慣がいつのまにかなくなりつつあるような・・・。

ご存知のようにfacebookには「嫌だね」「間違ってる」「ずれてる」ボタンは無く、意見に同調する人、もしくは「読みました」という意思表示として「いいね」が押されるだけで、それほど辛辣なコメントはつきません。というのも、エッジランクの関係もあり、登録している全員の友達の新着が相手に表示されるわけではないので、意見が合わない人(自分がいいねをつけたり、コメントしたりしない人)の更新情報は自然と出なくなっていくのです(参照:閉じこもるインターネット。イーライ・パリザーの講演

間違っていたり、未熟だったりしたら、そこから更に学んで行けばいいので、もう少し自分の気持ちや意見を、はっきりと外に書いていってもいいのかなと思い直しました。もう少し勇気を出して行きたいと思います。

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