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二度目の社会人を始めた男が、新しい挑戦への第一歩を踏み出す!

日本で「チャンビー」が生まれないのは「カタログスペック」の枠にとらわれるからだと思う。

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おもちゃに見る創造力の喪失 なぜ日本から「チャンビー」が生まれないのか
byクロサカタツヤさん



日本から「チャンビー」が生まれないのは萎縮感覚があるせいでは?byTuckerさん


上の二つの記事を読み、自分なりに
チャンビーのようなとがった商品がなぜ日本に生まれないか」考えてみた。

簡単に自分なりにお二人の意見を意訳するとネット端末
チャンビー」というとがった商品を軸に
クロサカタツヤさんは
今の日本は「インテグレーション(統合)技術」と「全体を見渡す人の不在」と説き、
Tuckerさんは「1割が面白いと思ったものが出せない(それを判断できる人がいない)」や
萎縮の時代になりつつある」と考えている。
※解釈に誤りがあればすいません。



そこで、自分が思うところとしては、
日本で尖った製品が出ないのは、「カタログスペック」の枠にとらわれ、
途中まで作るけど、「同列の旧製品」を超えるものができる
まではほぼ市場に出回らないからだと考える。


今の日本に置いてあるものは、大体が優秀な商品ばかりだが、
そういったものはすべて「前の製品よりもすべてにおいて上回る」ような
商品として世に出ている。


例えば、「携帯電話」や「PC」などがいい例だとおもう。
PCなどは、夏モデルのPCよりも冬モデルのPCのカタログスペックがよく、
携帯電話も前のモデルよりも次のモデルの
カタログスペックが良いという仕組みになっている。(当然といえば当然)


日本人の肌感覚として「カタログスペック」が「同列の旧製品」よりも、
全体的に良いことが「新商品の価値」としての絶対条件としてあると思う。


つまりは、「市場に出回っている商品よりもスペックで劣るけど面白い商品」と
言うのはそもそも、日本人の考える(価値を感じる)商品ではないのだ。



日本人には「職人気質」という言葉もあるとおり、
一つの商品に対して真摯に向き合いそれを超える」の物を作る美学がある。


そういった根底にある価値観のような部分が、
チャンビー」のような市場にのカタログスペックには劣るが面白い商品、
を結果的に生むことができない元になっているのではないだろうか。


こうした場合には、あえて自分達がそういう感覚を持ってしまうことを自覚し、
市場製品には劣るが自らの商品の価値観を信じる」信念をもった、
サービスや商品を作る心構えをやしなっていけばいいのではないかと考えるが、

みなさんはどう思われるだろうか。

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