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アジャイルや機械学習、リーンシックスシグマなど、日々の仕事の中で見て聞いて感じた事を書き留めています。

アジャイル開発の「ポリティカル・コレクトネス」

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先日、昼食のために食堂に行ってみると、IT関連部署のマネージャーが一人でテーブルに座り食事を取っていました。彼女を見かけるのは久しぶりだったので、「一緒に座ってもいい?」と声を掛けてから、同じテーブルで昼食を取りながら一緒に話をしました。

彼女は開口一番「うちの会社は本当に遅れている。多くの他の会社は私たちより余っ程先に進んでいる」と言い出しました。一体何のことを話しているのか尋ねてみると、どうやらアジャイル開発のことで憤慨しているようでした。

それを聞いて僕はちょっと困惑して、彼女に聞き返しました。「君のところのIT部門はとうの昔からアジャイルで開発しているじゃないか」と。

すると彼女は「だから遅れている。他の会社はアジャイルにうんざりして、とっととアジャイルから立ち去っている。それなのにうちの会社はまだアジャイルをやっているのだから信じられない」と言うのです。さらに「あなたの部署はアジャイルのお化けみたいなSAFe (Scaled Agile Framework)を未だに使っているのだから、とんでもなく遅れている」と言われてしまいました。

確かにアジャイル開発(SAFeを含む)に辟易しているエンジニアがたくさんいることは僕もよく知っていますし、実は僕もその一人です。アジャイル開発が一般に言われているような結果が出ていないことも身をもって知っています。だから彼女がアジャイル開発にうんざりしていることを知ってもこれっぽちも驚きません。しかし僕が驚いたことは、IT部門のマネージャーの口からその言葉が出たことです。

そこで僕が「みんなアジャイル開発に疑問を持っていることは確かだけど、リーダーの君がそれを口にしては示しがつかないだろう」と言うと、「あなたもポリティカル・コレクトネス原理主義者なの?今、アジャイル開発が世間でどのように思われ始めたのか、一度自分で調べてみれば?」と反撃されてしまいました。

「ポリティカル・コレクトネスか・・・・・確かにそうかもしれない・・・・」彼女に言われて初めて気がつきました。思えばアジャイルやSAFeを導入してからは、それを称え、その導入を推し進めることだけが政治的に唯一正しいことだったからです。

一方で、アジャイルに反対したり、疑問を口にした者には「非協力者の烙印」を押し、アジャイルが上手く行かないと「僕たちはまだアジャイルに未熟なのだからもっと頑張ろう」と励まし合ったりしました。いくらアジャイルを目指して頑張っても、なかなかウォーターフォール開発から抜け出せないでいると、やっぱり「僕たちはまだアジャイルに未熟なのだからもっと頑張ろう」となりました。それが政治的に正しい姿勢だったからです。

そして1年経っても2年経ってもアジャイルに成熟するどころか、ぜんぜん結果がでなくても、誰も文句を言わなくなりました。

僕は一度仕事仲間に言った事があります。「アジャイルが前提としているものは"軽い"ソフトウェアを"軽い"チームで開発するものだ。それはアジャイルソフトウェア開発宣言アジャイル宣言の背後にある12の原則を見るだけでも分かる。アジャイル開発の前提条件は、我々の開発対象の前提条件とは全く違うのだから、アジャイルで開発を続けることには無理があるのではないか」と。

すると「そういうことは他では絶対に言わないほうがいいよ。君がアジャイルを理解していないと皆に思われてしまうからね。」と忠告されたので、「もうアジャイルに10年以上携わっているだけでなく、二年前にはSPC(SAFe Program Consultant)の資格まで取り、十分アジャイルを知っているつもりだけど、前提条件が違うのだからやっぱり無理を感じるんだ」と言うと、「アジャイルはどんな開発にも応用できるんだ。アジャイルが上手く行かないのは、僕たちがまだ未熟だからなんだ」と、言われてしまったので、僕もそれ以来アジャイルに対して何も言わなくなっていました。だってそれが政治的に正しいのだから。

彼女に「アジャイル開発が世間でどのように思われ始めているか、一度自分で調べてみれば?」と言われたので、早速調べてみました。するとインターネットには、アジャイルに異を唱える記事がたくさん見つかりました。

アジャイルの"導入失敗例"などの記事は昔からたくさんあるのですが、ここ最近(2017年以降)になって変わってきたことは、「アジャイルを長年使ってみたがやっぱり駄目だった」とか、「アジャイルを使えば使うほど、アジャイルに反する"重たい"組織になって駄目だったとか」「アジャイルはそもそも宗教ビジネスだったのか」みたいな記事が目に付いたことです。ハーバード・ビジネス・レビューやフォーブスなどのオピニオン誌にもそのような記事がありました。

僕は2017年以降にそのような記事が増えたことに興味を覚えました。オバマ大統領からトランプ大統領に代わり、ポリティカル・コレクトネスに疲れた人たちが声を出し始めた頃であり、#MeTooムーブメントが盛り上がり見せていた頃です。

「彼女はアジャイルの#MeTooだったのか・・・」と僕は思いました。残念ながら日和見の僕は#MeTooに乗る勇気がありません。だから静かに、「アジャイルが去った後、次ぎはいったい何が来るのか」ということを研究することにしました。

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