今日やらなくてもいいこと、でも明日がちょっと変わることを考えていきたい

犬のしつけと自責で考えること

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我が家で犬を飼って、3ヶ月くらい経ちました。

子供の頃に実家で飼ったことはありますが、犬のしつけをするのは初めての経験です。
とりあえず本を買って、そこに書かれているとおりにしつけをしてみたのですが、これがなかなかむずかしいわけです。
それでもあきらめず、毎日繰り返し練習するうちに、すこしずつ覚えてくれるようになりました。

そうして毎日接していると、やがて教える側にも少しづつコツのようなものが分かってきます。

それは、たとえば「おすわり」なら、無理やりおしりを押さえつけることはしない。
犬の頭の上にご褒美を持っていって、自然と座るようにする。
そして、おすわりの形ができた瞬間、「おすわり」と声をかぶせる。

そうして繰り返すうちに、ご褒美がなくてもできるようになりました。

いろいろな動作を教えるのに共通しているのは、決して無理強いしないこと。
犬が自主的にその態勢をとるように、最後までこちらで工夫すること。
そして、目的の動作をした瞬間に声をかぶせ、きちんと褒めること。

おすわりさせようと、無理やり押さえつければ反発するだけでした。
ですから、犬が自主的にその動作をするように、工夫して誘導する必要があります。
言葉が通じないぶん、うまくできないときは、その理由を自分側に探す必要がありました。

とはいえ、言葉が通じたら楽なのになぁと何度も思いました。


でも、言葉が通じたら…のつまるところは、「私が楽だから」なんですよね。


そして、言葉が通じる相手ならどうだろう?自分はこれまでどうしてきただろうか?と、ふと考えました。

以前務めた職場で、頼んだことができていなかったと相手を責めたことがあります。
私が出した指示のニュアンスを汲み取って、キッチリ作業をしてくれたメンバーを高く評価していたように思います。

私は、自分が楽だからという隠れた欲求に気づかずに、メンバーに接してきたのではないかと思いました。

相手がわかるように、もっと具体的な表現を使ってコミュニケーションをとっていたら、きちんとやってくれたのかもしれません。

なまじ言葉が通じるから、それに甘えて言葉を端折る。
そして、「わかるだろう」と相手に理解を求めてしまっていたのだと思いました。

相手に何かを伝える時、それを伝えるために他にできる努力はないか、自分に問いかけていこうと思います。

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