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事業アドバイザーとして活動する以前は、会社の経営者として様々な事業を立ち上げていました。その時代の失敗談、成功談から最近の事業アドバイス事例、改善事例など、事業繁栄のヒントになる実体験を書きます。

高校を卒業して強制収容所に行く

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高校を卒業して関西の電力会社に入社しました。
固有名詞になりますので、絶対にわからないように社名は伏せておきますね。(笑)

その関西電力、(いま手が滑って「の」が抜けました!)いや、関西の電力を扱う会社の技術系社員は、大阪にある専門施設に強制収容されます。

車でお迎えが来て両手にわっぱをかけられて連行されるのではなく、スーツを着て自ら強制収容所の門をたたきます。

そこに入ったら最後、1年間は出ることができません。
まあ、実際は土、日とかは門限以内に戻れば自由ですが。

その強制収容所は○電学園と呼ばれていました。
(ここもわからないように伏せ字です!)

関○学園には関西を中心に全国から300人も収容されます。

収容前には進むコースが決められていて、私は配電コースでした。
配電コースとは、簡単に言えば電柱、電線関係ということです。

他には、水力変電、火力、原子力、送電などのコースがありました。

収容時には運転免許証は没収され、足の自由を制限されます。

収容所は4人1部屋です。
引き戸を開けると両サイドに2段ベッドがあり、その奥に机が4つあり、机の横には縦長のロッカーがあります。

部屋は学校の教室のようなタイルカーペットで、廊下からそのままスリッパで入りますので、廊下の横にベッドがあり、その奥に机とロッカーがあるということです。

物を置くにもベッドか机の上しかなく、部屋の廊下は移動するスペースしかありませんので、ゆったりくつろげるスペースはありません。

最初のうちは慌ただしさと緊張感で何とも思わなかったのですが、少し落ち着くと「まるで牢屋やのう・・・」という声は私だけではありませんでした。

湯のみで何かを飲みながら歩いている奴に「なに飲んどるん?」と聞くと、「飲み物がないから、湯を飲んでる・・・」という答えが返ってきました。

自分で持ってきたポットで湯を沸かして飲んでいたのです。(笑)

自動販売機すらなかったので、勝手がわからない最初のうちはこんな感じでした。
学園というよりも、収容所という表現がぴったりだったのです!

ベッドの横にコンセントが1人1個あるのですが、22時くらいになったらコンセントの電気は止められます。
コンセントの電気が止まるって、聞いたことないですよね。(笑)

起床時間は6時半に決まっていて、起きたらすぐにグランドに集合です。
グランドに集まったら整列させられ、偉いさんのくだらない話を聞きます。

それから体操して強制労働ならぬ強制ランニングタイムです!
そして、走り終わった順番にエサにありつけるのです。

それから高校の延長のような授業や、専門的な実習が夕方まで続きます。
平日はひたすらこのパターンが続くのです。

こうして1年間飼いならされ、それぞれの職場に行くことになるわけです。

最後に全員が一言言う時に、「もう1年やれと言われたら、絶対無理です!」と言った奴がいましたが私も同感で、大半がそう思っていました。

給料をもらいながらなので仕事ですが、かなりひどい環境ですので、いま思えばよく1年間耐えられたものだと思います。

あ、気が付いたらどうでもいい回想録になっていましたが、その強制収容所いや、強制労働所じゃなくて関電学園は、だいぶ前に閉鎖されましたので、その記録として良しとしましょうー!

しまったー!最後の最後に隠していた固有名詞を書いてしまいました・・・(笑)

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