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仕事に絡んだ四方山話などを徒然にと思いつつも、読んで興味深かった本ネタが多くなりそうでもあります。

【ブックトーク】ルールは何のために、誰がために。/『なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』

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 ソチ五輪も佳境に入り、連日楽しく観戦しています。中でも、葛西選手の銀、団体での銅は、長らく低迷を続けてきたジャンプ界にとって、久々に明るいニュースだったなぁ、、なんて風にも。それは、こちらで長野五輪後の“ルール改正”についてのトピックがとり上げられていたのを思い出したからかもしれません。

 『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』(青木高夫/ディスカヴァー携書)

 “(正々堂々とルールを守り、潔く闘うという従来の日本人の)考え方を堅持したうえで、
  ルールつくりには積極的に参画していくことが大切”

 骨子は「プリンシプル(原理・原則)との差異を踏まえた上で、ルール(手段・手続)作りへの参画することが大事」とされている点でしょうか。そこから考察を深めて、まさしくこれからの日本と日本人の闘い方を描こうとされていると感じました。

 スキーなどのスポーツや車やバイクなどのビジネスの事例を上げながら、「勝ちすぎは社会を豊かにしない」し、「ルールを支配したからといってずっと勝ち続けられるわけでもない」と、その後の結果まで踏まえて述べられていて、非常に説得力があります。

 例えば、1998年直後のスキージャンプルール改正は、なんとも後味の悪さを感じたことを今でも思い出せます。ただ、その後の結果を中長期的に俯瞰すると、体型的に日本人と変わらない人たちが結構勝利しているとは意外でして、「ルールは成長の糧になる」というのを考えさせられた事例です。

 その上で「1チームが勝ちを独占しては面白みがなくなってビジネスとして成り立たなくなる」とされています。これ、身近では日本のプロ野球を見ていると納得してしまうんですよね。ちょっと前のWBCが盛り上がる一方で、その波及効果を国内のプロ野球界では、いまいち見て取れないかな、と感じていますから。。

 大事なのは「自身を含む社会の成長(公益)」で、これは“プリンシプル(原理・原則)”であり、そうそう変わるものではない。しかし、この原理を最大限に実現していくための“ルール(手段・手続)”は、適宜変えていくべきだろうとは、双方の区別ができているからこそ、でしょうか。

 ルール(法)はその時代の状況に則して変わっていく、これは「法治」の理念を生み出した古代ローマの時代でも同じで、その系譜を受け継いでいる欧米であればごく当たり前の感覚なのかなと。

 翻って日本はというと、、一度決まったモノはオイソレとは変えないとする傾向は強いと思います。これがプリンシプルに対してであればよいのでしょうが、問題はルールをも混同して不変のものとしてしまっている点で、特に戦後はその傾向が強くなっていると思います。

 むしろルールという枠組みを守ることにだけ汲々として、肝心の「日本人としてのプリンシプル(美学)」を見失いつつあるのではないでしょうか。「仏作って魂入れず」とはよくいったもので、終戦後のGHQ内部の共産主義勢力の在り様を鑑みて、痛感するシーンもしばしば。

 戦後教育を例にとってみると、日教組などに代表される敗戦利得者の暗躍もあるでしょうが、古来より連綿と受け継いできた日本らしさが、完全に断絶されてしまっていたと思います。そのルールとなっていた戦後の教育基本法ですが、こちらは2006年に戦後初めて大幅に改正されています。

 少なくとも旧法よりは日本人としてのプリンシプルを伝えられるような、そして生涯をかけて実現していけるような教育の実現が可能になったと思います。この改正法がいい方向に動いてくれるよう期待したいところですが、、そういった意味では、道徳の教科化や高校での日本史必修化の流れはいい傾向かな、とも。

 ルール作りで、一時的な後塵を拝しても、次の機会を見据えて公益に資するルールを検討していく事を継続していく心構えが大事だと思います。その指針になるのは「公益」になるのでしょうが、それを実現していくには、自分自身のブレないプリンシプルも大事なのかなと。

 そのためにも、日本人としての「プリンシプル」を次世代に伝えていきたいですし、その場の一つとなる「教育」はやはり大事だな、と。その意味でも、日本という国の成りたちや在り様を「大きな物語」として語り継いでいきたいところです。

 イギリスの歴史学者、アーノルド・トインビーはこう言っています。「12~13歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」と。公教育の場で「日本の神話」を学ばせようとしない、この一事を持ってしても敗戦利得者と呼ばれるヒトビトの目的とするところがよくわかるかと。

 今の日本は、先の大戦後の日本が参加できずに作られた「ルール」に縛られていると思います、教育しかり、憲法しかり。安倍総理が2006年から言い続けている「戦後レジームからの脱却」、これは「ルール」を作る側に回りましょうと読み替えることもできるのではないかと。

 “ルールの作り方や変更の仕方にも、私たちのプリンシプルを入れ込んでいく”

 対外的にはTPP、内政的には憲法や教育など、制度疲労を起こしているルールは山ほどあるかとも思います。勝ちすぎず負けすぎず、バランスを取りながら、正々堂々をルールを作り、潔く守っていくことが、ひいては公益(社会的有用性の発露)にもつながっていくのかなと、そんなことを意識させてくれました。

 日本人が“グローバル社会”と対峙していくとはこういうことだ、とのヒントが散りばめられていると思います。まさしく、今の時代が求めているのではないかと、そんな風に感じる一冊です。

【あわせて読んでみたい、かもな一冊。】
 『日本国憲法はどう生まれたか?』(青木高夫/ディスカヴァー携書)
 『ハーバード白熱日本史教室』(北川智子/新潮新書)
 『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利/講談社文庫)
 『グーグル10の黄金律』(桑原晃弥/PHP新書)
 『アベノミクスとTPPが創る日本』(浜田宏一/講談社)

【補足】
 なお、著者の青木さんは本田技研にお勤めで、世界を相手にグローバルな活躍をされています。そこでの実体験を元にされるお話に、とても説得力がありました。



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