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仕事に絡んだ四方山話などを徒然にと思いつつも、読んで興味深かった本ネタが多くなりそうでもあります。

【情報サービス】“図書館”も種類によって目的は異なります。

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 先月末、松江市の“学校図書館”で、とある書籍に閲覧制限がかけられていたとの記事がありました。閲覧制限といっても、閲覧禁止とか蔵書廃棄とかではなく、単純に閉架に置くようとの通達が教育委員会から出されていたとのことですけども、、その後結局は要請が撤回されたそうで。

 この要請が、“市区町村などの公立図書館”に対してなされたのであれば非常に問題です。というのも、一般的な公共図書館は「情報資源へのアクセスの保証と、その情報資源の保存・伝承」が主機能の一つであり、必要とする人に必要な“あらゆる情報”を届けることを社会的使命ともしているからです。

 しかし“学校図書館”の場合は、一般の図書館に求められる情報資源の集積機関としての役割の他に「教育機関」としての役割も求められています。その理念としては「1:教育課程の展開に寄与する」、「2:児童又は生徒の健全な教養を育成する」の2点があげられるでしょうか。

 前者は「各学年の強化学習を補てんするような資料の提供」、後者は「読書を楽しいと感じられるように」「人間・家族に対する信頼、人権や社会に対する尊重を涵養する」「科学的な思考や態度を育めるような」といった要素で構成されています。

 今回のケースは「発達段階の子供にとって、一部の表現が適切かどうかは疑問が残る部分がある」とのことですから、「2:児童又は生徒の健全な教養を育成する」の観点でみるとごく真っ当な通達であっただろうと考えています。

 なお、対象となった書籍は『はだしのゲン』、原爆を扱った漫画で、子供の頃に映画を見せられた記憶もあります、、内容はうろ覚えですが(汗)。個人的には、前半(少年誌で連載されていた部分)はまだしも、後半(5巻以降)の「日本共産党や日教組の機関紙で連載されていた部分」は思想的にもかなり偏向していると見ています。そういった政治色が色濃く出ているのであれば、少なくとも教育の観点から不適当と言われても仕方が無いかなと、、R18までいかずとも、R15の範疇には入ってくるかと。

 そしてもう一つ違和感が残ったのは、作者である中沢啓治氏の「はだしのゲンのアニメ映画を見たことでトラウマを植え付け、それによって原爆に対して嫌悪感を持ってくれればいい」との考え方です。判断基準が未発達なうちに「恐怖(トラウマ)」を刷り込むのは、ある種の洗脳行為ではないでしょうか。。

 個人的には、トラウマで人の価値観を縛るようなやり方は、学校図書館の掲げる「科学的な思考や態度を育めるような」とはかけ離れているでしょうし、子供たちが「読書は楽しい」と思えるかどうかも、はなはだ疑問に感じています。

 また(学校図書館に限った話ではありませんが)開架スペースも無限ではないため、特定の書籍を“必ず開架に置くべきと経典化してしまう”のは、そちらも問題です。戦争や原爆の悲惨さや恐怖を伝えるのであれば、他にも良書はありますし(『夕凪の街 桜の国』や『竹林はるか遠く』、『黒い雨』など)、学校図書館担当者(司書教諭)は、常に教育の動向と子供もたちの興味や関心の在り様、そして社会状況も踏まえながら、学校図書館の蔵書コレクションを管理していくのも、その職務だったりしますので。

 個人的には「マンガだから」との理由だけで児童書コーナーに“聖典”のように置く必要は感じないんですよね、絵柄も時代とはあってませんし。古典名作の一つとして、何らかの形で閲覧できるようにしておけば十分ではないかな、と。これが、レファレンスや情報検索の対象から外した、閲覧禁止にした、とまで行ったら問題ですが、、特に公共図書館では。

 ん、ここ10-20年位で、図書館も単なる貸し本屋的な位置づけから「生涯学習機関」の一つとしての位置づけが濃くなってきています。特に高度情報化社会に入ってからは「情報格差(デジタルディバイド)」への対応機関としての役割も期待されるシーンが増えてきているかな、とも。

 その辺りを踏まえると、“学校図書館”には「各種情報メディアの活用方法の育成という指導」といった、、子供が生涯学習の基礎を培っていくための基盤としての役割が期待されていると思います。それだけに「1:教育課程の展開に寄与する」、「2:児童又は生徒の健全な教養を育成する」といった理念を忘れることなく、運営していく必要がありますかね、と徒然に。

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