大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

祝!!!>>>『本日 ITmedia オルタナティブ・ブログは、6周年を迎えました!ワー!ワー!ワーーーーッ!』

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パチパチパチパチ!!!

お・め・で・と・う・ご・ざ・い・ま・す♪♪♪


しかし、『6』についてのあれこれ、ってむずかしいお題ですねぇ。
(でもこれって、今日書かないと意味ないしなぁ。。。)


今年の3月(震災の後)に少し書きましたが、
僕個人としては、1960年代の生活が一番良かったと思っています。
(そんなこと言ったら「経済がガタガタになる」とお叱りを受けそうですがw)

では60年代の暮らしの何が良かったのか?
以下、思いつくままに挙げてみたいと思います。

・貸本屋では月光仮面がブームだった。

・玉子屋さんでは、
玉子を籾殻(もみがら)に並べて売っていた。
それを上手に新聞紙にくるんでくれた。

・お味噌屋さんでは、
大きな鉢に味噌を高く盛って量り売り。
(これは今でも専門店ではありますね。)

・お肉屋さんでは、
お肉を竹の皮に包んで売っていた。

・たこ焼き屋さんでは、
たこ焼きを経木(きょうぎ=スギやヒノキを薄く削ったもの)
の舟に入れて売っていた。

・レコードは既にステレオ録音のLP盤が普及していて、
ビートルズの新曲がリアルタイムで売れていた。
僕が最初に聴いたビートルズは「アホな放尿~屁~♪」
(I wanna hold your hand)

・電化製品も多くの部品がプラスティックではなく鋳鉄でできていた。

・タクシーは観音開きのドアのトヨペット・クラウンかセドリックだった。
(ドアを閉めるときに指をつめた記憶が...)
ボディ全体がブアンブアン揺れながら走っていた。

・阪急電車(2000系)は、すでに今と同じかたちをしていた。
(冷房がついたのは70年以降)

・改札口では駅員さんが切符を切っていた。
駅員さんは緑がかった薄い水色に塗った太い木の枠の中に立っていた。
http://goo.gl/hDxxw

・阪急石橋の駅前では、冷やしあめを売っていて、
飲むとあまりの冷たさにアタマがキーンと痛くなった。
(これは今でも売っているようです。)

・映画館の入り口には、
手焼きのスチール写真をたくさん掲示するショウウィンドウがあった。
時代が下るにつれ、ポルノ映画が増え、
夏休みの時期だけゴジラ映画がかかった。

・駅前の不二家のプリンやシュークリーム、ショートケーキ。
(これも今もフツウに売ってますねw)


以上、
オルタナティブ・ブログ6周年とは何の関係もありゃぁしませんが、
60年代の庶民の生活文化と今の21世紀の消費スタイルが
うまく融和したようなライフスタイルを見出すことができればイイなぁと思います。

このブログでもそうしたことを書いてゆきたいと考えています。

1961_2
(僕はもう充分生きたから放射能もこわくないよ。)

参考:
How Catastrophe Heralds a New Japan
by KOJIN KARATANI(柄谷行人)
「今回の震災が意味するものは、けっして日本の終焉ではない。
むしろ再生のチャンスが訪れたと考えるべきです。」
http://goo.gl/9I3xw

Comment(2)

コメント

廣江さん、じんわり懐かしい光景をありがとうございます
「アホな放尿~屁~♪」には笑っちゃったですよ

今思うと、60年代の暮らしって「リア充」ですねw

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