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高校卒業直後にアメリカの全寮制高校に飛びこみ、文化、言語、価値観、人間関係、そして勉強で七転八倒しつつ適応していった、5年間の留学生活から学んだレッスンを、具体的エピソードを交えて紹介。

恋愛相談はしても、人生相談はしない留学生たち 【後編】

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前回、留学生は恋愛相談はしても、人生相談することはないというのを書きました。


恋愛に関しては、人種も国籍も関係なく、だれしも普通に悩み、もだえます。そういう様子を見ると、「あぁ、人間って根っこはいっしょなんだなー」と思うもの。

しかし、恋愛相談はしても、人生相談をすることはありません。まったくのゼロです。(ここでいう人生相談とは、恋愛以外のことです)

つまり、「進路、就職、仕事選び」等の将来設計です。僕自身、したことも、されたこともないですし、誰かが話しているのを聞いたこともありません。


「誰と付き合うか」、「誰と生きるか(結婚とか)」は他人に相談するけど、「どう生きるか(進路、職、将来)」はすべて自分で決める。


こういうマインドが、当たり前のこととして浸透しているみたいです。当時はそのことを不思議に思いませんでした。そういうものなんだろう、と無意識に意識していたような気がします。


で、今回は「留学生は、なぜ人生相談をしないのか」を考えてみたところ、4つの理由に行きつきました。


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1.目的を持っている

わざわざ国外まで来て勉強しているので、当然強い目的を持ってます。留学する前から「将来こうしたい」という気持ちを固めているので、ブレがないんですね。よって、他人に相談するまでもないし、人の意見(雑音)を聞き流す余裕もあるわけです。

個人が決めた「生き方」や「目的」は不可侵のテリトリーみたいなもので、お互い踏み込まないという暗黙の了解もあったような気がします。



2.結局自分は1人と割り切っている

いくら他国の学生と仲良くなっても、いつかは別れの時が来るし、生涯で再会する確率はかなり低いと割り切っています。もっとハッキリ言うと、「二度と会うことはない」くらいに思ってます。(今でこそフェースブックで近況を知ることもできるようになりましたが、所詮バーチャルに過ぎません)

これは、留学生特有の心理です。


「バックグラウンドも目的も異なる者同士が人生相談しあったところで、相手に多くを期待できない」

とか

「結局は自分は1人で、何事も自分で判断し、結論を出さなくちゃいけない」

という心理は常に心のどこかにあるのです。実際、いったん帰国して社会人になると、まず再会の機会はありません。

※なので、期せずして再会できたときの喜びはひとしおです。6年前、仲の良かった元ルームメイトのインド人の結婚式に海を渡って参列したときは、いたく感激され、彼の一族から「地球の裏側から来てくれた!」と手厚いもてなしを受けました。(こっちは祝う側なのに)



3.同等の人生経験しかない仲間は相談相手にふさわしくない


友人に相談したところで、気は晴れるかもしれないけど、解決にはならないし、ましてや進むべき道が示されることはありえない、と冷めていたところはあります。現実主義的ですね。

「肩の荷を下ろしたいから、とにかく相談に乗って(グチを聞いて)」ということは、しないものです。

ただ、年長者や家族に相談することはあるでしょう。留学生は身近にそういう存在がないので、だれにも相談しない(できない)という風に見えてしまうのだと思います。



4.孤独を恐れない

「何事も所詮1人で決める」と割り切っているせいか、単独行動をいとわないところがあります。もちろん友人はいるし、つるんで遊ぶこともするけれど、一人の時間も大切にします。しかし、つるむことでグループの帰属意識を確かめるような行為は、あまりしないです。

たいてい留学生は、1人になる時間をもっていて、(どこで何をして、何を考えていたか知る由もないけど)数日姿を現さないなんてことはザラ。それを話すこともないし、詮索されることもない。

悩むこと、落ち込むことはあっても、それを他の生徒に見せずに、一人で解決を試みていたんだろうな、と思うわけです。

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他人に人生相談をしない人が、する人よりも強いとか、優れているとは思いません。それに、1人で悩みを抱えて決めてしまうことが、ベストな解決方法なのかどうかも、疑問に感じる時もあります。


ただ、他人に相談することしかできない人よりは、力強く人生を切り拓ける可能性は高いような気がします。


つづく



スキナヒト製作所
中山順司
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