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高校卒業直後にアメリカの全寮制高校に飛びこみ、文化、言語、価値観、人間関係、そして勉強で七転八倒しつつ適応していった、5年間の留学生活から学んだレッスンを、具体的エピソードを交えて紹介。

日本バスケがアメリカバスケに勝つ日は絶対に来ない

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11月になると、アイオワは徐々に冬に戻ります。サッカーシーズンが終わり、入れ替わりでバスケットボールシーズンがはじまるのですが、今回はアメリカで味わった高校バスケについて書いてみます。



私のいた高校は、半分以上の生徒がエチオピア人留学生という特異な環境でしたので、いろんな意味でふつうのアメリカの高校とはかけ離れておりました。

まず、サッカーがむちゃくちゃ強い。中盤と前線は完全にアフリカンチームだったのと、当時のアメリカではサッカーはマイナースポーツだったのも影響しているかと。ふつうに10対0とかボコってました。次に、誰もアメフト、野球、アイスホッケーに興味を示さないので、部活もありません。(寒冷地域なのにアイスホッケーしないとか、広大な土地があるのにアメフトのフィールドがないとか、アメリカの高校としてありえません)



ただ、冬は雪でサッカーができないので、バスケ部はありました。まあ、サッカー部員がそのままバスケをやるだけですが。つまり、誰も本格的にバスケを学んだことはありません。

ありえない話に聞こえるかもしれませんが、アメリカでは季節にあわせて生徒が複数のスポーツを掛け持ちすることは当たり前です。なので、サッカー部員がバスケをするのは変なことではありません。私も(頭数を揃えるため)選手登録させられました。

我々の高校にはなんと体育館もなかった(!)ので、練習はたまにしかしません。公共の施設を借りて練習したことはありましたが、ほぼやっていないに等しいです。



さて、そんなエチオピア人&日本人(1名)でできた(ほぼ)素人チームが、アメリカの高校生とガチ試合をするとどうなるかですが・・・。





それはそれは、コテンパンにされます。



バスケってこんなに点差が開くもんだっけ?と思うほどに。もう悔しいとか、追いつこうとか、そういう感情すら芽生えません。

なお、相手は超強豪とかではまったくなく、ただの片田舎の無名高校です。ただ、我々がヘボすぎただけです。(加えて、身長の差もありすぎました。ボールを受けて顔を上げたら目の前に相手のヘソあたりがあると、攻撃意欲が萎えることうけあいです)



夏場のサッカーシーズンには無敗を誇ったサッカーチームが、冬には容赦なくボコボコにされるという見事なまでの対比。相手チームからしたら「夏にサッカーでやられたお返しだっ!」って気持ちもきっとあったと思います。まったく手加減してきませんでした。そんなワケで、夏はサッカーで全勝、冬はバスケで全敗という両極端なシーズンをおくることになりました。


これだけの微小な個人の経験だけで言うのもアレですが、日本バスケがアメリカバスケに勝つ日は絶対に来ないと断言します(笑)。だって何もかも違いすぎますもん。



と、まあバスケでは負けた記憶しかありませんが、遠征であちこち知らない街に出かけられたのがとても楽しく、リラックスして留学生活を楽しめていた時期ではありました。ただ、唯一の心配は、勉強の時間が以前の半分以下になり、TOEFL対策はほぼ行えていなかったこと。
(2回のTOEFLの失敗の後に、エチオピア人留学生の「根を詰めて勉強しても効果は薄い。それよりたくさんおしゃべりしなさい」とのアドバイスに従い、気ままに過ごしておりました)



「次にTOEFLを受けるのは、来年の3月かなあ。入学条件の最低点(500点)をもし取れないと、いよいよやばいぞ。高校にいられるのは卒業の5月までだし、そうなったら否応なしに出て行かなくてはいけなくなる。でもどこに?行くアテなんてないぞ。のんびりバスケを楽しんでいる場合ではないような気もするんだが・・・」



誰にも言えませんでしたが、そんな不安が常に頭の片隅にこびりついて、寝れなくなる夜もありました。



そうこうするうちにクリスマスが近づいてきました。
約2週間の冬休み期間中は、生徒全員建物から退去せねばなりません。しかし、私はどこも行くアテがなく、頼れる知人もいません。これには頭を抱えました。



つづく



代表 中山順司
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