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高校卒業直後にアメリカの全寮制高校に飛びこみ、文化、言語、価値観、人間関係、そして勉強で七転八倒しつつ適応していった、5年間の留学生活から学んだレッスンを、具体的エピソードを交えて紹介。

UFOか、どん兵衛かで悩んだ18歳の夏

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「海外での生活が長くなると、ホームシックにならなかった?」と聞かれることがあります。

私は一度もありませんでした。
すると、「ほほー」なんて感心されたりします。

断っておきますが、別に私のメンタルが強いとか無類のアメリカ好きと言うことではありません。


だって、、、高校卒業してますからね。

18歳以上にもなれば、ふつうとっくに親離れしています。親はもちろん、兄弟や友人に会えないことは別になんでもないことでしょう、この年齢の若者ならば。


むしろ、日本の常識とかしがらみとか、面倒くさい上下関係(先輩後輩)から開放されたことが、うれしくて仕方なかったです。敬語を使わなくてよく、いちいち年齢を確認してから付き合い方の距離感を測る必要もなかったのは、実にラクでした。
(厳密に言えば、年長者に対するある程度丁寧な英語はありますが、たかが知れてます)

日本に女房子供を残しているような社会人だったら話は違うでしょうが、高校卒業したての私には、母国に残すものは何もなかったわけです。



5年間の留学生活の中で出会った数百名を超える留学生の中にも、真剣にホームシックになった人間はいなかったです。帰国しちゃったなんて人間も当然皆無でした。

特に、アフリカから出てきた生徒らは、「貧困で苦しむ母国を脱出し、ようやく自由の国にやってきた。このチャンスを活かして将来○○○するぞ」という意気込みでいますので、ホームシックになるわけがないともいえました。そういう生徒らを見ていると、ホームシックとは一種の贅沢病かも、なんて思ったりもします。


私なりの結論としては、ホームシックとは、本当に故郷を懐かしみ、元の生活に戻りたいと願う心理状況ではなく、単に現状から逃げ出したい、今の状況がつらいから辞めるためのテイのいい言い訳がほしい、逃げ出せるなら母国でなくてもかまわない、ということなのではないかと思います。




と、偉そうなことを書きましたが、そんな私も無性に故郷が恋しくなるときがなかったといえばウソになります。その対象は人ではなく、食べ物でした。

ホームシックならぬ、フードシックですね。



恋しくなるのは高級な食べ物ではありません。
主食でも副食でも間食でもありません。

コメならちょいちょいカリフォルニア米が食べられました。魚がない代わりに、肉はふんだんにありつけるし、じゃがいも、とうもろこしとか穀物類は言うに及ばず。間食、いわゆる菓子、ジュース類はアメリカも充実しています。ポテチなどのスナック菓子やチョコ、クッキー類はむしろアメリカのほうが選択肢が豊富でした。炭酸飲料にいたっては、激安だったので水のように飲んだものです。


では、何が恋しくてしかたがなかったかと言いますと、いわゆるB級メニューです。
ラーメン、焼きそば、お好み焼き、ですね。


こればかりは入手不可能だったので、親に頼んで空輸で送ってもらいました。

3ヶ月に一度、カップめん、カップ焼きそば、せんべい類がびっちり詰まったダンボールが届く日を、私は一日千秋の思いで拝むように待ったものです。(アメリカのスーパーにもインスタントラーメンもどきが売ってはいたのですが、これがまずかったのなんの・・・)

それを大事に大事に、数ヶ月かけて少しずつ食べるわけです。せんべいは1日1枚とかルールを決めて食べました。

カップめんとカップ焼きそばは、7~8個しか入ってませんので、たいへん貴重な食材です。めったに食べることは許されません。

ハレの日用の晩餐(夜食)として厳重に保管しておき、「こんどのテストが終わったら食べよう♪UFOにしようかな、どん兵衛もいいな、ムフフ・・」などとやっていたのも、懐かしい思い出です。




当時の私にとってパスポートの次に大切なもの、それはカップめんでした。
あと、これは声を大にして言いたいのですが、日本のインスタント食品のレベルは世界一です。


いつの間にか、ホームシックの話がカップめんの話になってしまいました。


つづく



代表 中山順司
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