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マストドンが流行るかって?今はそんなことより祭を楽しむべきじゃないかな

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こんにちは、アラフォーです。

なんだかんだでネット文化の輪廻転生を5周くらい見届ける歳になってまいりました。

もっと上の世代の人達は今の状況をどう見ているのだろうか。気になります。

というわけで、mastodonです。

このブログを見ているような方々ならば既に周知のものと思われますが、念のため参考リンクを掲載しておきます。

マストドン (ミニブログ) - Wikipedia)

日本では、大学院生が立てたサーバーが日本一のアカウント数を抱えるインスタンスになるなどという何リカンドリームなんだという現象が起こっています。

このmastodonについて世間では、革新だ、本当の意味での民主的SNSの誕生だという絶賛の声とともに、Twitterの焼き直しだとかアーキテクチャがクズだというような非難が混在していて、ああ、まさに今新しいプラットフォームが産声を上げたのだなという様相で、忘れかけていたインターネットの楽しみを思い出させてくれます。

技術、コンセプト、実装、それぞれに問題を抱えつつも、未来への希望を提示してくれるこのサービスに、ネットヲチャーや新しいもの好きといった足の早い野次馬が駆けつけ、それぞれの持ち場に腰を据えていて、すでに祭は始まっていることがひしひしと感じられます。

そう、mastodonは今、祭の真っ最中なのです。

冷静に見ればアーキテクチャの脆さや、法規制への適応に関する危うさもある状況ではありますが、しかしそれを踏まえても、このビッグウェーブを逃がしたら次はないかもしれないという、心地よい焦燥感がこみ上げてきます。

確かに今見られる称賛の声には大げさで、過大評価と思われる言説もあるわけですが、しかし、それは参加する人々の期待の表れでもあるわけです。

そうして人が集まり、体温が上がる中で、何を間違ったのか頭のネジが外れたスーパーハカーが、まさかそんな理想みたいなことできないよねというような機能を実装してしまい、人々が思っている以上のプラットフォームに仕上がってしまう、そんな可能性を持っているのではないでしょうか。

少なくともアーリーアダプターたちはそのような夢をうっすらと思い浮かべているのではないかと感じます。

そんなことになれば、今はただの馬鹿騒ぎだとしても、人が増え、長きに渡り騒ぎが繰り返されることで文化へと昇華していくことでしょう。

もう少し悲観的な未来を考えてみましょう。

mastodonが一過性の騒ぎで終わり、1年もしないうちに何事もなかったかのように葬り去られたとしても、祭りのあとのから騒ぎが待っています。

まあ、やっぱり構想に無理があったよね (というわりには一番盛り上がっていた) とか斜めから語る人、あの判断がmastodonを殺したよねと物知り顔で語る人、時代が追いついて来なかったねぇ (本当は自分が追いつけなかった) と未来人ぶる人。

そういった人たちの手のひら返しが白日の下にさらされて一通りぶっ叩かれたころに別の面白いサービスが立ち上がる、といったこともまたインターネットらしい時代の変遷ではないでしょうか。

いずれの未来にせよ、今まさに祭のさなか。

同じアホなら踊らにゃ損。

mastodonの上で軽快にコサックダンスを踊り、このビッグウェーブ (11段落ぶり2度め) を乗りこなしていく所存でございます。

語るつもりが決意表明みたいになってなんなのこれ。

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