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テクノロジーに心も仕事も奪われそうな日々を綴ります。

時間厳守のコストとワイシャツとわたし

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ここの所の気候の変化ですっかりお腹の調子が悪い松井です、こんにちは。

今年もゲリラ豪雨だとか、季節外れの台風がやってくる季節に突入し、「約束に間に合わなぁ~い♪───O(≧∇≦)O────♪」といったツイートが咲き乱れることが予測されます。

世間的にはビジネスマンたるもの、不測の事態を見込んで行動しよう、といったことになりがちなのですが、そこにかかるコストについてはあまり語られない気がします。

約束に間に合うことが礼儀のこの国では、そのために作った時間の余裕をコストと呼んでしまうと袋叩きに会いそうな空気が満ちていますから、無理からぬことでしょう。

ということで今回は、M気質なわたくしが、あえてその領域に踏み込んでみたいと思います。

亡骸は誰が拾ってくれるのでしょうか。

 

予備の時間には制約が多い

まず、予備のために30分早く出発したとして、何もなければその30分は丸々空き時間になります。

ただ、そんなことを言い出すと、こういう空き時間も有効活用するのがビジネスマンとしてのたしなみ、という話になります。

しかし、その空き時間には制約がとても多いです。

まず、場所の制約があり、気持ちの制約もあります。

場所の制約というのは一番わかりやすいのですが、場所が変わるとできることが限られてきます。

家なら素っ裸で過ごせるものを、例えば仕事の待ち合わせなら梅雨時のジメジメを我慢しつつスーツで汗だくになる必要があるわけです。

ちょこっとブレイクダンスでも踊りたいと思っても、なかなか大勢の前で踊るのも気が引けるでしょう。

そうやって、踊りたい気持ちを抑えつつ人を待ち続けるのは心が痛いよSo Blue。

 

結局ゼロリスクに支配されている社会人

ここの所の、日本の企業が不信続きになっている要因の一つとしてゼロリスク思想を取り上げる人が多いようです。

でまあ、そういう議論が活発ではあるんですが、相変わらずゼロリスク思想は根強いようです。

なんせ、遅刻をしないことを前提にスケジュールを組み立ててしまうんですから。いやまあ、交通機関の遅れはあるものとして行動するんだからそうでも無いという意見もあろうかとは思うんですけどね。

ただ、日本の交通機関なんてかなり時間に忠実なので、時々発生する少々の遅れのために、いつもいつも30分を犠牲にするというのはあまりにコストがかかりすぎではないですか。

それに比べれば電車が遅れたせいで10分遅刻したってことが3日に一回くらいあったところでたいしたことではないと思うのですが。(某オレンジ色の電車に関しては色々とアレですが。。。)

10分遅れただけで仕事に影響が出るっていうのも、どんな仕事の組み方をしてるんだか、というか、そんなキチキチに詰めて仕事を組み立てるから些細なトラブルで大惨事になるんではないかという気もします。

で、大体において時間に厳しいのは始まりだけであって終わりにだらしないという状況なのですね。

 

終わりが緩いのは他人への無礼です

さて、ここからは完全に僕の個人的な好みのお話になります。

僕が今まで出会って来た人の9割くらいは、始まりの時間にはうるさいけど、終わり時間は気にしないという傾向にあります。

人よりも企業の方がそういう傾向が強そうですが。

会議に遅れて入っていくとドライアイスのような冷たい視線を浴びせる一方で、時間通りに退出しようとするとドライアイスの(略

出勤時間に遅れると10分以上小言を言い続けるくせに、定時で上がろうとすると20分くらい小言を言ったり。

その時間の方が無駄だろう的な。

でですね、終わりの時間にきっちり終わってくれないと何が起こるかって、次の予定に遅れるんですよ。

それを見越してスケジュールをくめというかもしれませんが、時間通りに終わらないってことはつまり、いつ終わるかわからないわけです。

そんなんでどうやって次の予定を組めというのかと。

そこで僕が思うことは、始まりに厳しく終わりに緩いというのは2つの傲慢さがあるということ。

一つは、自分との予定のためには他のことは犠牲にしろという傲慢さ。

二つ目は自分の予定に遅れるのは許さないがその他の人の予定に遅れるのは構わないという傲慢さです。

そんなわけで、始まりに厳しくするなら、終わる時間にはきっちり終わらせろと、そう思うわけです。

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