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テクノロジーに心も仕事も奪われそうな日々を綴ります。

捨てること。根本に立帰ること。

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新連載。みんなが気づかない生活の豆知識。

無添加せっけん専用リンス本体 350ML

これ、石けんシャンプー専用のリンスなんですが、実は水垢のひどい場所に10倍くらいに薄めて使うときれいに落ちます。
成分がクエン酸主体なのでアルカリ性の水垢によく効くんです。

こんにちは松井です。

もし普段使っている方がいたら試してみてください。そうでない方は薬局でクエン酸買ってきた方がいいのでこの豆知識なんなの。

クエン酸以外にも重曹が見直されて久しいですね。あんなシンプルなものが汚れに効くうえ、体に害がないというのだから驚きです。

そんなことを思い浮かべていたらこのエントリーのタイトルのようなことを思いつきました。要は洗剤の存在価値って何なの、っていうお話です。

これだけ洗剤が発達した今、重曹という太古のアイテムが見直されているというのはいったいどんな状況なんでしょうか。

多くの洗剤メーカーがしのぎを削って、長年かけて開発を行ってきたにもかかわらず、今更重曹が洗剤よりいいよなんて言われているわけです。この状況にはどうしても違和感を感じざるを得ないわけです。

僕はこの現象から以下に述べるような仮説を立てました。最近、妄想でも仮説と言って発表するとなんだかかっこいいことに気づきました。

この現象の過程において、各メーカーは2つの失敗を犯してしまったのです。

ひとつは前提のすり替わり、もうひとつは極度のもったいない症候群です。では、それぞれについて話をしていきましょう。

まずひとつ目、前提のすり替わり。

重曹という安全で洗浄効果のあるものがあるにもかかわらず、メーカーが洗剤を研究し続けるのには何かしら理由があるはずだと思うのですが、僕はこう考えます。

おそらく洗剤が発明された頃には重曹に比べて洗剤の洗浄能力は遥かに重曹を上回るものでした。しかし、その洗浄力ゆえかなり人体への悪影響などがあったのでしょう。そこで各メーカーは人体に無害で洗浄力の強い洗剤を求め続けるようになりました。

そのかいあってか最近では手肌に優しい洗剤が登場し、主流の製品となりめでたしめでたしと言った空気が流れました。

そこに空気を読めない主婦が大々的に「重曹を活用すると洗剤よりもいい」などと言って広め始めました。今では重曹の効果が見直されてきていますがそれほどみんなに浸透しているかと言ったらそれほどでもない感じでもあります。

うーん。

テレビなどでは洗剤を作っているメーカーがスポンサーになったりということもあってなかなか言いづらいのでしょうか。でも、番組によっては松居一代さんを呼び出して重曹だけでなく、掃除用具メーカーに真っ向から喧嘩を売るような番組を放送している場合もあったりして、その辺は各テレビ局のスポンサーの傾向とかパワーバランスについて思うところもあるのですが、めんどくさいので割愛します。

でですね、ここまでの流れでメーカーが大きな間違いを犯しているのです。

本来はいかに安全に汚れを落とすか、ということが目的だったはずが、どれだけ優れた洗剤を作るか、にすり替わってしまっているのです。もしかしたらこんなに開発コストをかけなくたって、消費者に少しの手間を我慢してもらって重曹を活用してもらう方がよっぽどよかったかもしれないのに。

最初に開発した洗剤の洗浄力に魅せられた人々はそんなことも忘れて、洗剤は重曹よりも洗浄力があるものだ、という根拠のない前提をもとに突っ走ってしまった可能性があります。

そしてもうひとつの間違い。それがもったいない症候群です。

数年前からマネジメントについて勉強し始めた僕はあるとき「サンクコスト」という概念を知りました。サンクコストについて詳しくはネットで調べていただくとして、度々プロジェクトを見直し、トータルでかかるコストと回収の見込みを比較して赤字になるなら今までかかったコストはどうせ回収できないからなかったことにしてばっさりとプロジェクトを諦めましょうという考えの中で、すでに回収不能な過去にかかったコストのことをサンクコストという、というくらいに考えてもらえればいいかと。

しかし、このサンクコストという概念がどうも日本人にはなじめないようです。この先続けても赤字の垂れ流しになりそうなことでも、今までの努力が水の泡にならないようがんばってしまうことが多々あります。実際そういう状況を幾度となく見てきました。

洗剤開発においてもすでに莫大な過去の資産があり、それを捨てるなんてとんでもないといった雰囲気があったのではないでしょうか。そのため、重曹という白い粉があるにもかかわらず、そんな過去の功績を無にするようなものを認める訳にはいかないという空気が蔓延しているのだろうと、想像しています。

いや、むしろそんなことまで考えず、洗剤の方が優れているはずだという妄信の方が大きいかもしれません。

こうなってしまうと、元々の目的である「安全にきれいにする」ということが忘れ去られて、洗剤を作ることが目的になってしまうのです。

これらはあくまでも仮説ですので実際のところは事情が違うのかもしれませんが、このような例は他のところでもいくらでも見かけます。

人ってなかなか自分の功績や積み上げてきた資産を捨てることを考えないのですが、時々棚卸しをして、捨てるべきものは捨てる必要があるのでしょうね。

ちなみに、過去にこれと言った功績や栄誉のない僕は常に身軽で快適に過ごしています。自慢するものはないけどその分自由が大きいので、これはこれでなかなかいいものですね。

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