WBI コンシェルジュの Try ! & Error ?
WBIとは Working 、Business & ICT。WBI コンシェルジュとは、働き方の見直し、業務改革、ICT活用の支援・相談役です。
オン も オフ もあなたです
FacebookにTwitter、mixiに、Google+と、ソーシャルネットワークが盛んになってきた感じがします。いわゆる、ネットでのつながりをオンといい、リアルなつながりをオフと表現することもあります。
オンでつながって、オフでもつながる。オフのつながりが、オンでもつながる。などとオンとオフのつながりが融合していくようです。かくいう小生もオンとオフのつながりが入り混じり、区分けが難しくなってきている気がします。
そんな中、オフの顔とオンの顔が違う人がよくいます。オンでは、仕事とは全く関係のない趣味やプライベートの話が中心の人や、こんなに交友関係が広いのかと思ってしまうほど、オフはおとなしいのにオンは活発な人。様々ですから、また楽しいし面白いと感じています。
小生自身も、オンではまさにドッジボール中心の人格を展開していますからww
しかし、気を付けなければならないことも学ばなければなりません。オンもオフも知っている”友人”は、その両方の人格(?)を見ていることを。そして、その見ている友人は、自分が把握している以上の友人であることを。さらに、オンの人格を知らぬ間に継続的に見ていることを。
つい、グチを吐いてしまう。コレくらいなら、まだ可愛いと思うかもしれませんが、あることないこと呟かれたり、その場にいたことや会っていたことが他の友人にばれてしまうような会話や写真をアップしたり、仕事上の内容を呟かれたり... こんなこと、自分自身では気づかないけど他人から見たらしてしまっていることって少なからずあるんです。これを頻繁に、自由気ままに、呟きと言う名の下に公開されてしまう人格だったら...そんな”友人”との関係を考え直すのではないでしょうか。
自分自身の行動や意見や近況をアップするのであれば、楽しいソーシャルネットワーキングのツールも、暴露や悪口を他人を知らぬ間に発信してしまうツールにもなってしまう。その気がないにもかかわらずそう見えてしまうところがあるので怖いところ。
他人のことは書かない、触れない、写さないが基本。その基本を守った上で、つながれる関係を作ったり、公開してもいい内容や情報を吟味することが大事。というより、マナー。
うまく非公開グループや公開範囲の設定が出来ない人に限って、問題あるアップをしている。
誰が見ているか分からないのがオンの世界。お客様、同僚、先輩、家族が見ているかもしれません。と言うより、見ているのです。見られるのです。
そんな意識を持って、ソーシャルネットを楽しみましょう。
小生も自戒の念を忘れずに... です。
他人の意見は、表と裏がある
人は、ミスするもの、間違えるもの。そんなことを痛感することがよくあります。
1日の間でも、数時間の間でも、緊張感はそれほど長くは続かない。また、緊張感を保っていたとしても、ミスは出る。だからこそ、そのミスを補完する仕組みが必要になる。
頭が真っ白になることもあるだろうし、完全に誤解していることもある。
小生もいつも正しい判断、行動をとっているとは限らない。自分自身の判断、行動が正しいと思い込み過ぎないことが大事なこと。
つまりは、他人の声やアドバイスに耳を傾ける準備があるかないか...
他人の声とアドバイスを聞きすぎてもいけない。しかし、聞かないことでもいけない。冷静な思考と判断が求められるのです。
自分自身の思考と判断、行動を行うこと。そして、その行動、結果に対する他人や周りの状況からの情報をを得ること。、さらに、自分自身の思考、判断、行動という”仮定”の検証を行い、修正していく。
これが、バックアップでもあり、ミスの早期発見でもあり、是正である。
言葉にすれば、これで終わってしまうが、自分自身の思考や判断を途中で、遮って違う論理が入り込んでくると、頭の中は大混乱に陥るのである。一旦、客観視して、第三者としての考え直せれば良いのだが... これが、なかなかできるもんじゃない。
ありえない判断をしてしまうのは、概してこんな状況なのではないだろうか。
他人の声で救われることも、他人の声で大混乱してしまうこともあるのだから、扱いが難しい。
思考や判断を自分の身体から離れて、第三者として見ることが出来るかどうか。ここには、意地とかプライドを切り離すということでもある。
逆言うと、自分の意見も相手にすれば他人の意見となる。
他人の声、意見、アドバイス...
活かすも殺すも、自分の裁量。懐の深さ。
最後に判断する”自分”を信じる。”自分”を信じるために、他人の声を聞く。そして、せっかく聞いたy他人の声を捨てることの勇気。自分の思考、判断を誤りと認め、変更する勇気。どちらも勇気。
他人の意見は、色々な意味での表と裏があることを認識することができれば、少しは楽に思考が出来るかもしれない。
そこにいることが、大事なんじゃない。係わり方が大事なんだ。
社会人になり、歳を重ね、責任を積み重なり、役職が上がっていく。すると、不思議とそこにいることが使命だったり、役目だったり、仕事だったりと考えがちになる。そこにいることが仕事だ、役割だと。
しかし、それは大きな誤解。そこに居ることが弊害に感じている人は多い。
その場に、居ることが、安心を与えるのか、弊害と感じるのかの違い... このことに気づいていない人が多い。
その大きな要素の一つが、係わり方。
どう、係わっているのか、逆に、係わっていないのか。
で、あるならば、その場に居なくてもいいことも多い。居なければならないこともある。
居ることが前提ではなく、係わり方が前提。
係わりは、責任でもある。
これを理解できれば、行動範囲が広がる。係わり方も広がる。
停滞しているなと感じたならば、それは、もしかしたら係わり方が違っているのかしれません。
休む勇気 休ませる勇気
休むって大事な行為。それが、分かっているからこそ、休むことで”逃げる”ことも、”怠ける”こともできる。休むことが、プラスの行為かマイナスの行為かその瞬間には分からないから管理しづらい。
自分自身、自分が現場に出ているメンバーであり、管理職であり、経営者である。
休みたい、逃げたい、サボりたい、休養したい、充電したい、パワーを蓄えたい、リフレッシュしたい、
気分を変えたい。様々な休み方がある。
休みは魔物。休むことの意味をぼやかしてしまう。見失ってしまう。
休むことが、停滞、下降という意味を持ってしまう。瞬間的な時間だけを見ればそう見えてしまうのも事実。だからこそ、休むということが不可解に感じることが多い。
同じように、辞めるということも不思議なことかもしれない。
いずれにせよ、休んだ後が大事なのだ。リスタート、別スタート。このリスタート、別スタートがあるからこそ、休んだことの効果・価値が見える。
休むのが先で、リスタート・別スタートが後。さらにいえば、行動の過去がある。
過去と今と将来。行動、休み、スタート。
この一連の時の流れを少し引いたところから、長い目で見なければ正しい休み方なんて分かるはずもない。また、行動、休み、スタートの経験も大事な要素。
自分を含む本人が、休みたいという意志や行動を示したとき、どう感じるか?
サボりたいのか、いっぱいいっぱいなのか、計画的なのか、瞬間的なのか、休ませたほうが良いのか、悪いのか。様々な思考や感情が入り乱れるのではないでしょうか。小生自身も自分自身の感情、思考、部下や同僚、家族などの表情、行動、言い訳、理由などが入り乱れて、錯綜し、違和感を感じることもある。
その違和感を解消するためか、休む理由を聴いたり、逆に意味付けを行なったりすることになる。
休むことよりもスタートのさせ方に意識を持っていきたい。
休むのは、当たり前。当たり前のこと。その当たり前のことに対して、違和感を感じることがおかしいのだ。大事なのは、休んだ後、どうスタートさせるかに意識と思考を集中する。その経過の中で、休み方を考えればいい。
この意識の転換ができるようになれば、少し引いたところで全体を見ることができる。
休み方は、スタートの仕方によって変わってくる。
休むだけを見るのではなく、スタートとセットで考えることこそが正しい休み方が見えてくる。
休む勇気、休ませる勇気ではなく、休むこと、休ませることが当たり前になる。
休んだ後のスタートこそ、大事な瞬間である。
10年ぶりに、インフルエンザにやられた
先週、体調がおかしいな、関節や節々が痛いなと思っていたら、悪寒... そう、インフルエンザにやられてしまいました。
最近、病院なんていった記憶がない。久しぶりに、良く行く内科医に診てもらいに行きました。10年ぶりだったらしく、10年も風邪に打ち勝ってきたなぁと自己満足。その内科医は、小学校の同級生の医院なのですが、その同級生が院長先生になっていて、話をするのも照れくさかった。鼻の奥に、長い綿棒を突っ込まれて、インフルエンザ判定。息子が、インフルエンザA型にかかっていたので、まぁ、間違いないだろうと思っていましたが、やはりA型でした。
週末は、趣味のドッジボール三昧の日々を送っていましたが、さすがに、お休み、静養することにしました。
それでも、仕事には大きな穴を開けることなく、なんとかこなしてこれたことに自己満足。週末、正確には、金曜日の午後からダウンなので、週末で復活を目指します。
2日間も暇になってしまうと、何していいものか悩んでしまいますね。家の中でも隔離されているので、やれることも限られてくるし...
せっかくなので、この2日間を普段やれないことをやってみたいと思うのだが、考えても、考えてもなかなかやりたいことって出てこない(笑
仕事でもするかってなっちゃう...(苦笑
出歩くことでもできず、パソコンが唯一の気分転換。ならば、やはり、仕事になっちゃう。
普段できていない仕事もあるし...
そんなこんなの週末2日間。
久しぶりに、ゆったりと過ごせました。また、今週、めいっぱい頑張って、今週末のドッジ三昧に備えます。健康が、第一。来年は、ワクチン打とうかな...(笑
ほかの人に迷惑かけてはいけないので、念のため、今日月曜日も自宅にこもって仕事をすることにしました。たまには、いいかなと思ってます。
なぜに、いまさら、ここまでドッジボールにはまったのか
単純、誰もが知っている、誰もがやったことのある、スポーツ・ゲーム。それが、ドッジボール。
しかし、公式ドッジボールという統制の取れたドッジボールを知り、まさに”はまって”しまった。
なぜか?
そこには、勝つために、露骨に、「努力」、「涙」、「苦労」、「真剣」、「悔しさ」、「歓喜」、「応援」、「奮起」、「思考」、「情」がある。そして、何よりも「愛」があるのである。
この愛を感じ取れたもののみが、やがては、ドッジボールにさらにはまっていく。
きっかけは、自分の子どもがドッジボールを始めたことだろう。しかし、はまった大人たちは、自分の子どもが小学校を卒業したあとも、ドッジボールの世界から卒業しようとはしない。
時間とお金をドッジボールにつぎ込んで、審判だったり、コーチだったりとそれぞれの方法でドッジボール界に身を置くのである。
このような人たちを、敬意を表して「変態」と呼ばれる。
年齢も性別も職業も年収も家族構成も育ちも全く関係ない。ドッジ愛があるかどうかだけ。
こんな不思議で、熱くて、正義のある ドッジボールの世界が、大好きです。
変態たちと世界観が共有できるのも魅力。
この歳になったからこそ、味わえるものがある。味わいたいものがある、味わなければならないものがある。
当分は、ドッジボールで残りの人生を楽しむつもりである。
#dppmm
第21回春の全国小学生ドッジボール選手権 第2回春の全国女子小学生ドッジボール選手権 真っ盛り
公式ドッジボールの集大成。6年生にとっては、最後大きな大会、そして全国大会の都道府県予選が各地で始まっています。
この春の全国と呼ばれる第21回春の全国小学生ドッジボール選手権 第2回春の全国女子小学生ドッジボール選手権は、2012年3月24日(土)が、女子の全国。25日(日)が、混合チームの全国大会です。会場は、名古屋の日本ガイシホール!
ここに、全国から、勝ち抜いた32チームがそれぞれ集結してきます。
全国大会の切符を手にするには、春の全国大会の場合は、各地域のブロック代表にならなければなりません。この全国大会の切符をかけたブロック大会は、
北海道 3/4 北海道立総合体育センタ― きたえーる(北海道)
東北 2/26 尾花沢市「サルナート」(山形)
関東 2/26 ALSOKぐんまアリーナ(群馬)
北信越 3/3 女子単独 リージョンプラザ上越(新潟)
3/4 混合 リージョンプラザ上越(新潟)
東海 3/4 パークアリーナ小牧(愛知)
関西 3/4 京都府立山城総合運動公園(京都)
中国 3/4 岡山総合文化体育館(岡山)
四国 3/3 女子単独 高松市総合体育館(香川)
3/4 混合 高松市総合体育館(香川)
九州 3/4 宮崎市総合体育館(宮崎)
で決戦が予定されています。
このブロック大会に出場するために、各都道府県予選で勝ち抜いて都道府県の代表にならないとなりません。各都道府県で都道府県の代表チーム数は違いますが、予選を勝ち抜いて上位に入賞しなければなりません。
1年前、東北大地震が起きてしまい、関東ブロック大会が開催できず、関東ブロック代表が全国に出場できないという事態が起こりました。全国からの代表32チームが集結するのは2年ぶりのこと。
まさに、泣き笑いのストーリーが、各ブロック、各都道府県、各チーム、各メンバーで繰り広げられています。
もし、興味を少しでも持って頂けましたら、各地の熱戦を一度生で見てみてください。予想以上の熱い、本気のぶつかり合いを感じ取っていただけるはずです。
各都道府県予選は、JDBA(一般財団法人 日本ドッジボール協会)のサイトにて確認できます。
JDBA 春の全国小学生ドッジボール選手権
http://www.dodgeball.or.jp/%EF%BD%94%EF%BD%8F%EF%BD%90/%E6%98%A5%E3%81%AE%E4%BA%88%E9%81%B8%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%83%85%E5%A0%B1/
愚息のチームも 2/19の東京都大会を勝ち抜こうと頑張っています。
ぜひ、公式ドッジボールにご注目ください!!
日本ドッジボール協会
http://www.dodgeball.or.jp/
ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://www.dppmm.jp/
同じ感性を共有することって難しい...
ビジネスでもプライベートでも、社会で生きていくためには他人との関係が全てであると言えるかもしれません。自己主張だけでも、妥協だけでもうまくいかない。つまりは、他人との関係をうまくコントロールしながら生きていたり、ビジネスをしているわけでもあります。
そんな中、やりたいことをどう実現するかということは、とても重要なことです。
ただ、他人との関係の中で実現していくために、他人に協力を仰いだり、協力したりしながら進めたい方向に、作り上げたいように作り上げていくのです。やはり、自分一人では、限界がありますから他人の力を借りなければならないことが多いのです。
そこで、コミュニケーションが必要になります。自分の意図、相手の意図、自分の意見、相手の意見、自分の状況、相手の状況... 様々な要素がぶつかり合い、重なり合い、反発し合うのですが、これを矯正していくのがコミュニケーションだと思います。
コミュニケーションと言っても、きちんと正確に伝えたからといって、理解されるとは限らず、そもそも伝わるとも限らず、誤差を発見するたびにコミュニケーションを重ねながら進めていく。根気が必要なことなんです。
言ってもわかず、行動で示してもわからず... でも、それは相手から見ても同じことかもしれず...
こんな根気のある進め方をしていると、少ないコミュニケーションで伝わる人とどんなにコミュニケーションを重ねても理解し合えない人が出てくる。そうなると、つい、コミュニケーション少なく進められる人とのつながりを大事にしたがるようになります。自然な流れでしょう。これが、言葉にすれば感性、価値観が共有できるということなのでしょう。
しかし、なかなか、感性を共有できる人っていうのは、なかなか存在しない、というか、見つけられない。
見つからないから、諦めるか... 見つからなくても、諦めずにコミュニケーションを重ねるか... まさに、根気が必要です。ビジネスのプロジェクトや職場の中で、感性が共有できる人がいるととても楽になります。進めやすいと言ったほうがいいかもしれません。余分なコミュニケーションを重ねる必要がなく、その分、建設的な思考に時間も意識も費やせます。
感性が共有できる人とつながりは、とても大事なことだと思うのです。そのためには、相手を理解しよう、相手の考えも聞いてみようという意識も必要。
自分よがりの完成を共有できる人なんていないですからね。
相手を考え、思い、意識することこそ、共有できる感性そのものなのかもしれません。
自分の殻を破って、相手のエリアに入り込めるか。そして、荒らすのではなく、相手の視点に立って考える。自分と相手の思考の融合から生まれたものが共有感性だと思うのです。自分のやり方だけを信じていては、それが正しくても共有されないかもしれない。
その上で、自分の意見、意図を伝えていく。感性が共有できて、初めて出来ることなのかもしれません。
つながり
つながり。傍から見ると単なる線のように見える。しかし、よーく目を凝らしてみれば、その線は矢印になっているはずである。
つながろうとする気持ち、行動、思惑が矢印となる。矢印のないつながりの線はない。点線、破線、薄い線は、あるだろうが...
つながりを線と考えている人が多い。つながろうとする気持ち、行動がないのだ。名刺交換すれば、つながりの線が出来たと誤解している。名刺交換は、つながるコネクタであって線ではない。
つながりたいのか、つながられたいのか。
攻めと受け。
受けばっかりのつながりでは、意味がない。
攻めのつながり。これこそが、矢印のつながりとなる。
あなたのつながり。矢印になっていますか? 矢印の向きは、正しいですか? 矢印が向けられていますか?
クラウドというけれど
パソコン、CPU、ブロードバンドの発達。その成長でようやく活用し始めたのが、いわゆるクラウド技術。
しかし、その存在や活用方法が紹介されて、いまだまだまだ、浸透しきれていないというのはなぜだろう。
今のままで十分?
移行が、面倒くさい?
セキュリティが不安?
活用方法が、イメージできない?
使いこなす社員がいない?
多くの企業では、こんな言葉が返ってくるという。なんと、後ろ向きなんだろう。
アメリカなどでは、クラウドが当たり前になり自社の主力・本業の価格競争に優位に働いていると言う。クラウドなしのビジネスは、ありえないとも言う。
しかし、日本では...
大きな理由の一つが、大企業が全面的に採用していないということだろう。コンプライアンス! 情報漏洩! この2つの言葉がこぞって阻害している。
笑えない話だが、クラウドサービス企業の自社社員が、ノートPC持ち出し禁止、自宅での業務禁止、社内情報の持ち出し禁止、業務メールの転送禁止... こんな状態では、クラウド活用なんて必要がないというより、無理である。
結局、クラウドの恩恵を受け、積極的に活用しているのは、一部の個人経営、零細企業と個人なのだろう。
パイが小さい世界でしか、活用できていない。
そのせいか、クラウドサービスも和製のモノをなかなか見かけることができない。いいものと言われるものは、外国産。そのうちに、日本語化されているものだ。
日本の企業が打ち出すクラウドサービスというのも、何だか一般的ではなく元的なものが多い。業界、業種、規模、費用感...
小生自身、クラウドを活用しているかと言えば、まだまだ序の口だろう。まだ、クラウドツールでも有料で活用しているものは、極わずかである。
クラウド先での情報漏洩を心配するより、社員からの漏洩や置き忘れのリスクの方が明らかに高いだろうし、自社内でサーバーやその管理、ネットワークを維持する費用の方が高額なのに。
その上、時間と場所の制約が小さくなる、自由度が上がりビジネスチャンスや範囲が格段に広がる。
きっと、社員を信用していないんだろう。経営者自身も信用されていないのだから...
だから、経営と現場が一体化されているビジネス、ビジネス母体でしかまだ活用されていないのではないかと思うのである。
大企業とは、そういうものなのだ。決められた仕事を決められたとおりにこなすのが、大企業の特性。新しい、アイディアとか革新というのはやはり、リスクを負える小さな、小さな冒険者たち。
そういえば、雲も良く見れば小さな小さな水滴の集りである。クラウド(雲)とは、よく言ったもんだ。


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