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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

若者よ海外に雄飛せよ その19 発つ人を止められるか

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若者よ海外に雄飛せよ その19 発つ人を止められるか

 

 明らかに好意以上のものを持っている彼女が、突然、男性に、

「私、海外に行くことに決めた」

「どのくらい?」

「2年くらい、もっと長いかも」

「......」 がっくりとくる男性。

「ごめんね」

 こんな場面の航空会社のコマーシャルを見ると、複雑な思いになる。この男性にとっては、人生の伴侶(予定)が2年も自分から離れてしまうことになる。

「ああ、行っといで、行っといで。素晴らしいことだ。2年でも3年でもずっと待っている」と、さらっと言える人は、聖人かもしれない。(いやきっと聖人に違いない)

 

 若い時の私で、恋人と(自分が)思っている人から言われたなら、

「わあー、勘弁してくれ。それは無いよ」と、ひっくり返って手足をばたばたさせて反対するか、土下座してやめてもらうか、おんおん泣くとかするだろう。「結婚したら、将来必ず、海外勤務して、海外で学べるようにしますから」と約束するかもしれない。

 

それでもだめなら、「じゃ、ぼくも一緒に行く」と、仕事より彼女を取るかもしれない。ところが、彼女は、

「一緒じゃだめ。語学を学びに行くのだから、一緒じゃ、日本語ばかりになってしまう。だからダメ」と言うに違いない。

 もうこうなると、日本国内で待つ以外は、自分もどこかに留学するか、海外勤務することくらいしか方法がない。 

 

ここで私の話を聞いてもらいたい。

 大学時代、私は、商社に入社が決まっていた。同級生だった彼女とは、非公式(口約束)に婚約をしていた。

 その頃、彼女が、「卒業後は教職に進みたい」と言ったのには、まいった。中学、高校の英語の先生である。

 私は断固反対した。理由は、彼女が教職に進んだら、彼女は教職の大切さに目覚めて、はまり、仕事に打ち込み、教職を辞めることなど不可能になると、私は彼女の性格を見抜いていた。たとえ私が商社で海外勤務が決まっても、彼女の性格から言えば、「大切な生徒を捨てていけないわ。悪いけど単身赴任して」なんて言われる可能性があった。

 更にもっと恐れていたのは、彼女の優れた語学力と向学心であれば、彼女の方が先に海外の大学への奨学金を得て、留学することになるかもしれない。もうこうなると、手が付けられないほど、私の人生とはかけ離れてしまう。収拾がつかなくなる。破滅的だ。

 

 そこで考えに考えたのが、彼女に、文化庁の「外国人に日本語を教えるコース」を選んでもらうことだった。そうすれば海外でも日本語を教えられるし、海外で子供たちを教えることもできる。このように説得した結果、教職を選ぶコースを彼女は放棄したのだった。

 

 私は商社に入社して、次の年にその彼女と予定通り結婚して、私は会社で「海外ならどこでも、どんなに厳しいところでも構わないので、海外に行きたい」と言い続けた。次の年(入社2年半)で長男が生まれると同時に、家族で海外生活となった。海外生活は12年間となった。私は彼女の教職の進路をふさいだ責任は、ヨメサンになった後、まず海外生活をすることで少し返し、ヨメサンの執筆、翻訳を奨励した。彼女は本を多数出版したことでも少し返した。

 

 子どもが3人できて、12年の海外生活から帰国した後で、彼女の向学心が再度、急激に盛り上がり、米国の大学院(通信講座だが、年に数度、数か月のスクーリングがある)に入学を決めた。例によって私はまた(ワンパターンに)反対したが、もはや阻止できず。彼女は大学院の勉強を続けて、アメリカに通い続け、修士卒業までがんばった。これを見ても、やはり学生時代の私の読みは正しかったと思っている。彼女は勉強にはまるタイプなのだ。

 

 それからも数度、海外勤務をして、帰国後、ヨメサンは大学で教え始めた。全部で19年間、海外勤務・生活をしたことになる。私が定年になり、アイデアマラソン研究所を設立した。彼女は現在もいくつかの大学で教鞭を取っている。

 

 いよいよ締めくくりの部分に入った。

 2011年10月に、私は国立の北陸先端科学技術大学院大学(Jaist)の知識科学研究科の博士後期課程に入学した。アイデアマラソンの学問的分析と効果の証明を果たすためである。そして、研究を続ける中で、ヨメサンにも同じ大学で博士後期課程に入学することを提案した。そして、彼女の入学が決まり、この4月からは同じ大学院の学生となる。

 学生時代最後の時の彼女(ヨメサン)との約束を果たすのに、何と45年もかかった。

 人生はなが~いドラマだ。

 

 

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