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【Facebookの中毒性について】1週間の利用停止をして

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皆様こんにちは。鈴与シンワート株式会社の正林です。

ゴールデンウィーク期間中に投稿したブログ

● 【FaceBookとTwitterを使うの止めてみた】GW限定チャレンジ

でもお伝えしたSNS断ち生活を敢行したのですが、ゴールデンウィークの4/29(日)から5/6(日)まで続けることが出来ました。
私自身はそれほどヘビーユーザーでは無いのですが、それでもずっと「そわそわ」と落ち着かない心もちが続いたのも確かです。前回の内容は、中間地点でのレポート的な内容ですが、ここでは終わってみてその「依存度」の意味について考えてみました。

まず、本論の前に期間中に私が利用を絶っていたものは

・Facebookを開かないこと(ですから、その他のWEBページに設置した「いいね!」ボタンは時折押しました)
・Twitterを開かないこと(同じくWEBページ上のツィートボタンは押しました)

になります。
色々なところで言われていることではありますが、「実感として」これら広義なSNSツールの依存度合いを改めてを経験することができました。このなかで一番不安感を煽ったのが、コミュニティーの中での「乗り遅れ感」「クリティカルな情報をキャッチアップできていないのでは」という焦燥感にほかなりませんでした。

- 情報の取得形態の変遷 -

インターネットが世の中に普及して以来、幾度となく語られたテーマではありますが、情報という刺激的なブラックホールに間違いなく人は惹き付けられるのです。かつてはインターネットの「検索」や「閉じられたコミュニティ」、今はそれの進化系とも言えるSNSというツールに代替されて

かつての「検索」や「閉じられたコミュニティ」のアプローチは、惹きつける情報の質が異なります。ですから「検索」を外向的、「閉じられたコミュニティ」を内向的と分類してもよいかもしれません。

例えば「検索」であれば、「スカイツリーの見えるレストランでデートしたい」など、何らかの自己欲求にしたがって、情報を膨大なインターネットの中にある情報をすくい出すように探すのです。
つまり「検索」とは”自分の志向や嗜好”をもとに情報を取得する手法であるため、ユーザーによる能動的な行動が不可欠になります。
無秩序に散らばった広いインターネットの世界へ踏み出すイメージから私はこれを「外向的アプローチ」と呼ぶのです。

また、「閉じられたコミュニティ」とはSNS以前のコミュニティすなわち”2ちゃんねる””くるくるオラクル”のような他のコミュニティとリレーションしない、文字通り閉じられた世界から情報取得行為を「内向的アプローチ」と呼びます。閉じられたコミュニティの特徴は
ある特定のニッチな情報に関して、深い専門的な情報を得られるタイプのものと、日常の中で発信し難いネガティブなコミュニケーションが
行なわれているところもある。

そして、この進化系とも言える現在のSNSをベースにした情報取得方法です。説明するまでも無いですが、これはユーザーが主体的に構築するコミュニティをベースにしたものです。コミュニティ間がリレーショナルにつながっていくという、言わば「開かれたコミュニティ」です。
コミュニティ同士がリレーショナルだけでなく、インターネット上の情報もFacebookであれば「いいね!」とボタンを押すことでSNSの世界に
情報が繋がって取り込まれていくのです。
これは、従来の「検索」「閉じられたコミュニティ」を相互接続したものであり、「シェア・アプローチ」とでもいう形態です。

この「シェア・アプローチ」は、ローカルのコミュニケーション「内向的要素」と、嗜好性にあった情報を取得またはシェアされた情報から探索する、という「外向的アプローチ」の両方の側面を有しています。そしてコミュニティ同士がリレーションする性質上そこは単なる情報取得のためのツールではなく”コミュニケーション・プラットフォーム”としての機能が付加されているのです。

SNSによる情報取得手法の特徴、やシェアの本質は他にありますが、今回はこの範囲に絞って話を進めていきます。
今までの話をイメージ化すると下記のような形になるのではないでしょうか?

Photo

今、「内向、外向アプローチ」から「シェア・アプローチ」に変遷していくなかで、コミュニケーションの性質すらも変化しているのです。

- 依存度を高める要素とは何か -

自分の嗜好に能動的なアクションを要する「検索」は、その過程の中で関連する本来主旨から派生するような情報ソースと確実に出会うことになります。また、「検索」によって適切に必要な情報だけを抽出するのは不可能です。なぜなら、ユーザーは探したいことは分かっていても、どこを探すか?ということが分からないから「検索」するのですから。
そして、この派生する情報や必要な情報にたどり着くまでのプロセスが依存度を高めやすいひとつのファクターとなります。なぜなら、自らの志向、嗜好に関連する情報に膨大に出会う、ということは「興味のあることに対しての知識を集積したい」という欲求を生み出すことになるからです。

「閉じられたコミュニティ」に関して言えば、より深い興味に対して有効な手段であるために、継続的なコミュニティへの参画(或いは、サイトへのアクセス、といっても良いかもしれません)を促進するはずです。特定の専門的知識を獲得すためにそのコミュニティへの帰属意識は必然的に高くなり、依存度も共に高くなることは避けがたいことになります。

これらの要素を併せ持つものが「シェア・アプローチ」たるSNSをベースにした情報取得になります。「シェア・アプローチ」にはもうひとつ
「自分の嗜好外の情報を受動的に無作為に受け取る」という一面もあります。構築されるコミュニティはある程度属性や性質の似た、複数のユーザーによって構築されるわけですが「閉じられたコミュニティ」に比べれば、情報共有の濃度は薄くなります。そのため様々な情報が日々シェアされてくることになるのです。

SNSはコミュニティをベースにしたプラットフォームである以上、コミュニティへの帰属がコミュニケーションや情報取得の前提となります。
また、この緩やかなコミュニティだからこそ雑然とした情報に触れることにユーザー側もそれほどの不快感はないはずです。

つまり、コミュニティへの帰属意識が、接点を継続しようという基礎的な利用動機となっていていくのです。その上で既存の媒体や情報取得ツールの両方の要素を併せ持っていることが、タイプの異なる依存体質どちらに振れることも出来るものになるのです。

- 既存の媒体との相違点 -

さて、それではこれらWEBベースの知識ブラックホールに対して既存のメディア、テレビ、新聞・書籍との違いは何なるのでしょうか。
解説の前に下記のように特徴をまとめてみました。

Photo_2

例えばテレビであれば、電源をつけて選局してしまえば、一方的に情報は入って来ます。ここに能動性も、思考することも必要ありません。
ただ、受け取るだけでよいのですから。
また、新聞書籍について言えばユーザー側にかなり積極的な強い動機が必要なってきます。能動的に情報は取得しなければならない訳ですし、これを理解するために高度な思考能力が求められます。

かなり、ざっくりとした比較ではありますが「絶対的な受身」であるもの「自律的な行動と思考能力を要する」という点がWEBベースの知識習得のアプローチと異なる点です。これらは特に新聞・書籍についての依存度合いは強力な自主性を必要とするため低いといえるでしょう。テレビの「絶対的受身」にしても依存要素はあるにせよ、WEBほどではない。

なぜなら、そこにある情報は作り手によって発信された範囲を超えることが絶対に無いからです。また、拡散した散漫な情報は入る余地が
ないのです。これがWEBとの決定的な違いでしょうか。SNSとの比較に限定すればコミュニティに依存しないため、情報を受け取るツールとして他者からのプレッシャーは存在しないのです。

- 最後に -

これらのSNSツールによってもたらされる或いは発信する情報は「ある程度の能動性」と「受動的な立場」で利用できる、ちょうどインターネットの利用(能動的)とテレビ視聴(受動的)の中間的要素を緩やか有するツールであると考えます。
この緩やかさこそが依存度を高め、中毒化していく原因ではないでしょうか。

能動的な行動を促す要素が無い環境下において、これらのツールは不要なファクターが多い。
しかしながら、受動的に情報受信しない或いは情報を欲していないという状況は人間である以上、あり得ない不健康な状態とも言えます。
これらのツールに今後、益々依存していくことは避けて通れないものだと考えます。

よく「WEBの情報は粗悪なものが多く、有用な情報を見極めることが重要である」ということを言われます。有用な情報を見極めることは重要である。
しかし「WEBの情報は粗悪」ということに私は反駁したい。それでは「新聞、テレビ、書籍に粗悪なものはなかったのか?」と。今起こっていることは、WEBが広まることで処理能力を超える情報過多状態へ対応できていないというだけであって、その本質は紙だろうとWEBだろうと変わらないはずです。

今後、もっとこのSNSというツールを利用し、活用していくことで依存はスタンダードへ変化する筈です。
今、このコミュニケーションのスタイルや環境、技術の変遷は始まったばかりであり、そして加速度的な進化の中途です。おそらく10年と言わず、この3年前と比べても我々が取り扱う情報は爆発的に増えています。それをどううまく処理し、有効に活用するのかをひとりひとりがスキルとして求められる時代になっているのです。
ツールに振り回されず、ツールはツールらしくうまく使うことが、必要なのです。当たり前のことですが。

<了>

-正林 俊介-



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