オルタナティブ・ブログ > Dr.本荘の Thought & Share >

主にテクノロジー×ビジネス×イノベーションについて考察・刺激・アイデアなどを

マーケティングのキーワード「エスノグラフィー」 過去の日経ネット用記事から

»

この前のブログでエスノグラフィーの話が出たので、過去のブログ・エントリー(2/23/2011)を再掲します:

日本マーケディング協会の機関誌月刊「マーケティングホライズン」一月号で明治乳業の中島編集委員が「エスノグラフィー」をこれからのキーワードの一つとして取り上げておられたので、ひとつ書きます。

かつて、日経の電子版が始まる前に、日経IT PLUSで2009キーワードの集中連載の依頼を受け、『ユーザー行動を深く理解する「エスノグラフィー」 2009キーワード』を書いた。
参考 2009/1/6ブログ「2009キーワード 「エスノグラフィー」」
   http://www.honjo.biz/blog/index.php?UID=1231235279Link 
しかし、いまやネット上ではこのコンテンツはみつからない=消去されてしまった。

当時は、アズカ(http://www.azcainc.com/Link )の石井社長から、いいところに目を付けてるね、とお褒めのemailをいただいた位なのだが、それから一向にエスノグラフィーについて日本語でオンラインでみつかるコンテンツが増えていない(ゆえに、予言としてはハズレたのだが、世界的に大切なものであることに変わりはない)。

そこで、元原稿を以下に(実掲載前のもの)。

-------------------------

2009年のキーワード:エスノグラフィー
 
 「エスノグラフィー」(ethnography:民族誌学)--今世紀に入ってからにわかに注目を浴びるようになったマーケティング分野のキーワードである。もともとは、各文化の行動様式を解析し異民族を理解するために人類学から分化した学問。これがビジネス用に発展して現在のユーザー調査手法となった。
 簡単に言うとユーザーの行動を深く理解することだが、様々な方法がとられる。ユーザーへの質問(事前に決められたものでなくオープンなもの)をすることはもちろん、ユーザーの行動を観察すること、さらにはユーザーの普段の環境で共に過ごす・暮らすことである。つまり、企業側の論理ではなく、できるだけユーザー側に歩み寄ってユーザーを徹底的に観察し理解することが基本となる。
 観察は、ノート、スケッチ、写真、ビデオ撮影、ウェブカムなどによる。長期の例では、二年にわたり三ヶ月ごとに同じ家庭を訪問し、話を聞くだけでなく長大なビデオ撮影をしている。観察者が行うものに加えて、日記やビデオなどユーザーによる記録も用いられる。期間や予算、観察要員などの制約があるため、学問としてのエスノグラフィーより短期に効率的に調査設計されることが多い。

 マーケティング調査については、歴史的には定量的に統計処理する調査が主であった。情報技術の力を借りて発展し、データ・マイニングを伴うような分析も台頭した。また、インターネット・リサーチの登場により調査時間の劇的な短縮が可能になり、当初は統計的に問題もといった批判もあったが、広く用いられるようになってきた。
 定性的調査は定量調査の影に隠れてきた。1951年コロンビア大学の社会学者Robert K Mertonの著作「The Focused Interview」でフォーカス・グループ(グループ・インタビュー)の手法が紹介され、1970年代には心理学の応用が研究され始めたが、十分な適用には至っていない。フォーカス・グループについては、現象学的な理解に欠けた実践が多いとの批判もある。つまり、質問者・企業側の視点にとらわれがちであり、この手法の限界を示している。

 企業でのエスノグラフィー適用の先駆の一つは、1979年にXerox PARCに入社した文化人類学者のLucy Suchman(現ランカスター大学教授)が、ユーザーがコピー機を実際にどう使っているかをフィルムにまとめ、製品開発に影響を及ぼしたことだ。1980年代には他社も人類学者や心理学者を製品開発に取り入れようと始めた。そして今世紀に入ってからエスノグラフィーは急速に取り入れられるようになったのである。
 欧米ではこの数年は過熱気味とも言われるほど注目された。例えば、ジェネラル・ミルズでは、10年前は8割の消費者調査がフォーカス・グループだったが、いまは個別ユーザーの観察が半分を占める。プロクター&ギャンブルCEOの A.G. ラフレー氏は、「我々は、消費者の家に住み、共に買い物をし、生活の一部となることに、以前と比べはるかに多くの時間を費やしている。これによりはるかに豊かな洞察が得られる。」と語っている(USAtoday 4/30/2007)。P&Gは2000年から個別ユーザーの調査予算を5倍にしたという。

 この潮流は食品やトイレタリーに限らず、IT分野にも押し寄せている。
 2005年11月にマイクロソフトとインテルが第一回のEthnographic Praxis in Industry Conference (EPIC)を開催したことは、エスノグラフィーへの注目の高まりを表している。
ちなみにマイクロソフトのモバイル、MSN、ウィンドウズなどの事業部には、家庭や職場のユーザーを観察する要員が300人いる。ウィンドウズ・ビスタの開発では、米国40世帯、日本、ドイツ、フィンランド、インド、イスラエル、メキシコの各二世帯を「観察」した。これにより千件ほどの問題が見つかったが、その8割がマイクロソフトのテスト・チームで見つからなかったものだという。
 インテルの直近の例は、YouTubeの動画「Research background of the new version of classmate PC」(http://jp.youtube.com/watch?v=XuN7Mc0S1TULink  同社エスノグラファーの解説)で見ることができる。インテルの新しい「Classmate PC」は教室で子供たちがどう使うのかを観察し調査したことがベースとなって開発された。インテルのEmerging Markets Platform Group manager Lila Ibrahiは、「我々のエスノグラフィー調査は、生徒がタブレットとタッチスクリーン技術によく反応したことを示している。新しいデザインの創造性、インタラクティブ性、ユーザー・フレンドリーさは、子供たちの学習を助けるだろう。」と語っている。なお、インテルには40人のエスノグラフィー専門家がいるそうだ。

 こうしたエスノグラフィーのニーズの高まりは、企業、市場、製品の成熟化に伴うものであり、特に各国にまたがる市場や多様なユーザー・セグメントを対象とする場合、また利用のされ方の想定が難しいものでは、効力が増す。
 例えば、デスクトップよりも使う場が多様なモバイルの方が、ユーザー・エクスペリエンスを特定するのが難しい。つまり、(移動中、レストラン、ベッドの中など)ユーザーが置かれた状況と通信の利用が複合するため、ユーザー・ニーズ理解が容易でない。
 携帯電話機シェアトップのノキアは、商品開発プロセスにエスノグラフィーを組み入れ、成長市場である発展途上国にエスノグラフィー調査要員を送り込んでいる。例えばアフリカのように一台を家族や村で共用する地域もあり、使われ方は様々だ。例えば、インドネシアとウガンダを集中して比較するなど、もともとのエスノグラフィーの意味に近いやり方もとっている。

 つまり、「モノ」をつくることから「ユーザー・エクスペリエンス」をつくることへと競争の軸がシフトしつつあるのだ。
 このように欧米企業を中心として進んでいるエスノグラフィーだが、日本国内での例はまだ珍しい。しかし、ユーザーを深く洞察した企業と世界市場で競争するには、日本企業も避けて通れないだろう。アップルのiPhoneのユーザー・インターフェースで驚いているだけでは済まないのだ。
 サンプル数が少ないから意味がないといった揶揄も聞くが、統計的に意味がある浅い理解より、少数でも深い理解が求められるのは間違いない。

 エスノグラフィーは、消費財、金融、自動車、電子機器などで効果を上げており、適用できる業種は幅広い。筆者の知るエスノグラフィー・コンサルタントは軍をクライアントとしている。つまり、個人がユーザーとなるものほとんどがあてはまる。もっとも、上記の例のように情報関係や家庭用消費財は特に注目の分野だ。日本企業では、富士通と花王が1月27日開催の「ソフトウェアジャパン」(http://www.ipsj.or.jp/10jigyo/forum/software-j2009/it-f-pro-userstudy.htmlLink )で事例を紹介する予定だ。他の日本企業では、大阪ガス(情報通信部)、大日本印刷(情報配信サービスMagitti)、コニカミノルタテクノロジーセンターなどがエスノグラフィーに取り組んでいる。なお富士通や大日本印刷は、先駆として挙げたXerox PARCから学んでいる。
 2008年から日本でもエスノグラフィーがセミナーやイベントで取り上げられるようになってきた。「日経情報ストラテジー」2009年2月号ではエスノグラフィーが特集される予定だ。EPIC(http://www.epic2008.com/Link )は2008年に日本から博報堂がスポンサーに加わった。なお、博報堂はIDEO社と提携してエスノグラフィーを取り入れた商品開発コンサルティングに着手している。
 不況下で消費者へのアピールが難しくなる中、見過ごしていたユーザーの実際の願望や不満をとらえるアプローチとして、エスノグラフィーは日本でも注目されるだろう。

Comment(0)