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機械から見て人間はどうあればよいか ~『機械との競争』を読んで

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毎年、理想の上司像についての調査が行われているが、あれは無能な上司が多いことのあてこすりだろうか。上司像を評価するなんて、ずいぶん勝手なランキングだなあと最初は妙な感じを持ったが、下から上を見るという評価も無いはずはない。

さらに目線を変えて、機械から見た理想の人間像という評価はどうなんだろうかとふと考えてみた。変てこりんな評価だけど、機械をうまく使ってくれる人間、という意味での理想的な人間像のことだ。

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機械との競争
エリク・ブリニョルフソン(著)、アンドリュー・マカフィー(著)、村井章子(翻訳)

そんなことを思いついたのも、この本を読んだからだ。「機械との競争」というタイトルは原題が「Race Against The Machine」とあるように、意味はすぐに察しが付く。人間が機械と競争しなくてはならない大変な時代になってきた、というメッセージが込められている。

「機械」と言いつつも、本書の中では「テクノロジー(技術)」の問題として捉えていたりするので、広義に「技術」と捉え直しても良いと思う。つまり真意は「技術との競争」だ。ただし著者がたびたび19世紀に起きたラッダイト運動(機械破壊運動)のことを取り上げているところからも、機械というほうが捉えやすいし、ずいぶん古くからあった問題なんだなあと思う。

しかし現代はラッダイト運動が起きた頃からは200年も経っていて、技術のレベルも浸透の度合いも著しく違ってきている。基本的にこれまでの時代は技術を人にとっての脅威とみなす瞬間はたびたび訪れたけれども、なんとか人は新しい仕事を見つけてやり過ごしてきた。しかしこれからの時代は、技術が人の仕事を急速に置き換えてしまい、ものすごい失業者が出てくるんじゃないか ──という警鐘を鳴らしている。ちなみにこの失業のことを、著者は「テクノロジー失業」と呼んでいる。


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これまでの時代、技術を人間にとって都合良く支配してきたつもりでいたとしたら、そこの見方をちょっと変えないといけなくなるのかもしれない。変な問いになるが、「機械から見て人間はどうあるべきか」なんていう見方もあるのかもしれない。ここでさっきの理想の上司像の話になってくるのだが。上にあったものを下にひっくり返して見てみるのもたまにはいいのではないかと。

そんなことを考えながら、読後、こんなこともう少し掘り下げて問うてみたいと思った。次の通り...

●技術が人を必要とする状況とはどんな状況だろうか

技術は手段に過ぎないという通念と逆さまに思われるかもしれないが、技術の役割が非常に増して、人の居場所が極端に少なくなっている事態を想像して考えてみたい。それでもやはり、人が技術に使われる立場になっていることは想像しがたい。技術を使う立場でなければ、人としての需要は成立しないんじゃないかと思う。


●人の仕事をするような技術は、社会の構造をどう変えていくか

どんな技術も人の何かの役に立つように開発されるものだと思うが、とくに問題にしているのはIT(情報技術)のように、人の代わりに人の仕事をするような技術が、社会の構造にどんな影響を与えるのか。例えば社会に存在するさまざまな格差の問題や、世代間の関係はどうなっていくのか。問題を解決する方法は何かあるとして、最悪のほうのシナリオを考えておきたい。


●雇用という概念をどう捉え直したらいいだろうか

技術が人と競合する場面が増えていくのだとしたら、企業がする仕事をパイとすると、人のシェアはあまりいい結果になっていかないのではないかという気がする。失業率などの雇用統計なども、だんだんと現実解から遠ざかった調査になってしまうのではないか。人の、何かに雇われたり使われたりすることで達成される幸せの考え方を考え直しても良いのではないか。


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なんとなく悲観的な予想を誘うような問いになってしまったが、悲観論と楽観論は背中合わせなんだろうと思う。問題が見えれば解決策を考える。解決策を一生懸命考えることで、新しい生き方が見えてくるもんじゃないかと思う。それが楽観論につながるということを言いたいのだが。

楽観的に悲観論を捉えるとすれば、悲観論は未来に生まれる市場が想像できないから囚われてしまうのではないか、と。自分への戒めとしても。




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