一般社団法人鬼ごっこ協会で、鬼ごっこを活用して、次代を担う青少年の健全育成のために仕事をしています。大人から子どもまで、みんなが楽しめる鬼ごっこの楽しい活用法や、鬼ごっこにまつわる文化歴史をご紹介していきます。

賽の河原信仰と鬼ごっこについて思うこと

»

こんにちは。鬼ごっこ協会の平峯です。2014年も残りわずかですね。今年最後になるかも知れない投稿ですが、賽ノ河原をいつかは取りあげたいと思っていましたので、記事を書かせて頂きたいと思います。

■序章:現代人が「鬼ごっこ」と聞くと...

 まず、序章として「鬼ごっこ」と、現代の日本人が聞いてどのように思い、感じられているのかということを、これまで5年間ほど鬼ごっこを職業として行ってきた身からしますと、ほとんどの方は1つの子供の遊戯として「追いかけっこ」であるという認識のみを現役の親世代の方々や教育者の方は持っていらっしゃるケースが多くあります。もちろん、それは大きな意味では間違ってはいないのですが、鬼ごっこの持っている文化的な側面からなぜ1300年以上もの間守り、伝えられてきたのかを考えると、それは木を見て森を見ずということに他ならないことになります。

 今回のブログを通して、発信したい内容としては鬼ごっこの持つ文化的な背景を1人でも多くの方に伝えたいためであります。親子関係や地域社会の関係、友人関係、会社での人間関係、国と国の外交関係など、日本が昔から有してきた掛け替えのない文化を、皆さんとともに紐解いていく事で、現代社会の様々な課題に対して前向きに挑戦をしていきたいと考えています。全てを本稿で伝えきることは不可能ですが、まず賽ノ河原信仰と鬼ごっこの関わり合いだけでも、まずは多くの方に知って頂けましたら嬉しく思います。

■参考:賽ノ河原について

 まず、「賽ノ河原」について取りあげたいと思います。賽ノ河原のことは、知っている方はもちろん知っていらっしゃるし、知らない方は全く知らないような、真っ二つに分かれる文化の一つではないでしょうか。賽ノ河原の意味は、以下の通りです。

賽ノ河原 さいのかわら(デジタル大辞泉より)

 死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。
 むだな努力のたとえ。

この中で、もう一点「三途の川」についても下記に意味を分かりやすさのために記します。

三途の川 さんずのかわ(デジタル大辞泉より)

仏語。死後7日目に渡るという、冥途にある川。三つの瀬があり、生前の業(ごう)によって、善人は橋を、軽い罪人は浅瀬を、重い罪人は流れの速い深みを渡るという。三つ瀬川。渡り川。葬頭河(そうずか)。

 実は、「鬼ごっこ」の1つの起源として言われているのが、この「賽ノ河原」信仰だと言われています。上記の意味から、改めて意味を考えると、賽ノ河原は親より先に亡くなってしまった子が、三途の川を渡り、流れ着いた河原で石を積んで、両親への供養のために功徳を積み、途中は何度か鬼から襲われて石を崩されてしまったりをするが、最終的には地蔵菩薩に子が救済されるという、涙ぐましい信仰心のカタチです。親より先に亡くなるという親不孝を、鬼がある意味で叱りにやっているという要素もあるため、鬼が必ずしも悪い存在ではなく、子に対して親の大切さを身を持って教え諭してくれる有難い存在だとも捉えることができます。

賽ノ河原のことを表した有名な絵画の一つをご紹介します。江戸時代に活躍した歌川貞重の賽ノ河原の絵画です。右にいるのが地蔵菩薩、左にいるのが鬼、地蔵菩薩に助けを乞うているのが子どもです。

 歌川貞重(国輝):<賽の河原>

c0072801_16331697.jpg

 

実物の賽ノ河原の石積みの写真例はこちらです。「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため...」という歌に合わせて、子どもが石をこのように積んでいきます。何とも悲しい物語です。

賽ノ河原の石積みについて

Steinmanderl_an_der_Ammer_P5040227.jpg

■本題:鬼ごっこと賽ノ河原の関わりについて

 そこで、今回の本題に入りたいと思います。

賽ノ河原と鬼ごっこの関わりについてです。鬼ごっこの起源は、このブログでも幾度も記事を書きましたが、一つとして「ことろことろ」という遊戯だと言われています。ことろことろの役割は、大きく親、鬼、子の3者がいて成り立つ遊びです。現存する中で古い、現実に子供が遊んでいたことろことろの姿を表わしたものが以下になります。列になった先頭が「親」、親に連なっている人達が「子」、列に向かい合っている人が「鬼」で、鬼が列の一番後ろにいる子をタッチすると鬼の勝ち、列が途中で崩れてしまっても鬼の勝ち、最後まで逃げ切れば親と子の勝ちと言う遊びです。

江戸時代に描かれたことろことろの絵画(『骨薫集』1814・1815に描かれた比々女)

ダウンロード.jpg

明治期のことろことろの写真

10857731_898497306836741_8179019822711236103_n.jpg

現代のことろことろの写真

IMG_3427.png

 ことろことろの鬼・親・子の3つの役割があることを踏まえると、賽ノ河原信仰の「鬼から地蔵菩薩(親)が、子を守り、最終的に子を救う」という点と符合すると考えられています。親は、何としても子を守らなければ鬼に子を取られてしまう、だからこそ親は子を守りますし、子もそうした必死に親が守ってくれることから、親という守ってくれる存在の大切さを遊びから学ぶことができます。ことろことろは、更に遡ると古くからは神社仏閣の宮中行事の中で儀式として神事で行われていた「ついな」をもとにしているのですが、その神社の神主さんやお寺の和尚さんが儀式でされていたことを子供がマネをしたり、神主さんや和尚さん達と触れ合うことで誕生したのではと言われています。昔は、神社仏閣で鬼ごっこをしていた方も多いかもしれませんが、そうした文化的な背景があったことはあまり知られていません。

 賽ノ河原は、悲しい物語でもありますが、親が子を思い、子が親を思い、鬼もまた子や親の幸せを願う、そんな悲しい物語の中にも慈悲の心があります。鬼ごっこの本来の意味が、こうした背景にあると思うと、性別や年齢や運動能力差に関わらず、誰もが親しめるものとして1300年継続してきた意味が、少しだけでも分かってくる思いがします。善なるものは守り守られ、しっかりと悪いものは叱られるという、どんなことにも本質的に通じるものが鬼ごっこにはあると、理解をしていただけると嬉しく思います。

■まとめ:現代社会に賽ノ河原信仰をどう生かしていくか

 最後に、本ブログでのまとめとさせていただきますが、この賽ノ河原信仰と鬼ごっこの関係を、どう現代社会に生かし、後世に残していくのかを考察して終わりたいと思います。現代の子ども達や現役の親世代、先生方はアナログなこうした遊びからは縁遠くなり、デジタルゲームやインターネットゲームに触れ合う機会が多いことを踏まえると、ことろことろをはじめとした伝承的、文化的な鬼ごっこもゲーム性を持たせて、子どもから大人までが気軽に楽しめる要素を持たした内容にしなければならないと考えています。

その中で幾つかの案を提示したいと思います。ご興味のある関係各所の方がいらっしゃいましたら、共に新しい価値を生み出していけましたらと思います。

1、奉納鬼ごっこ企画(神社の境内で3世代交流企画)

2、寺子屋鬼ごっこ企画(和尚さんの講和と鬼ごっこ)

3、お城や地域の文化的資源を生かした鬼ごっこ企画

4、東京五輪の文化プログラムに鬼ごっこ企画を提案

5、企業の職場研修として鬼ごっこ企画を提案

鬼ごっこ協会でも、これまで神社の境内や、お寺の中で鬼ごっこ企画を実施したことがありますが、広い敷地で子供達や親御さんの笑顔が見られて、歓声が上がる光景が本当に素晴らしいものがあります。職場研修としても、社内の上司部下の関係やお取引先との関係を考えていく上で、このことろことろの考え方は当てはまる部分がおおくあります。当協会としても、ぜひこの鬼ごっこ文化を後世に伝えていくための取組は、日本国内にとどまらず世界各地、また教育分野にとどまらず、福祉や保育、社会人、学生、親子などの様々な方へ向けて発信していきたいと考えております。

最後まで、長文をお読みくださいまして誠にありがとうございました。

2014年度もありがとうございました。来年度も何卒よろしくお願いいたします。

■お問い合せ先
Comment(0)

コメント

コメントを投稿する