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オマージュされるアーキテクチャー(前編)[アーキテクトに求められるもの]

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おまんじゅうの話をするわけではありません。「オマージュ」。この一見洒落た、使うのが気恥ずかしくなる言葉は、やはりフランス語(ちなみに、フロマージュはチーズの意味なので全く関係ない)。赤面しつつ、この記事でたくさん使ってみます。

最近、積み上がって行くだけの本棚の中から、今回、たまたま手に取った小説は伊坂幸太郎の「バイバイ、ブラックバード」。帯を見るまで気づかなかったのですが、こちらは、太宰治の未完の絶筆「グッド・バイ」へのオマージュ作品になります(ちょうど今、東京・三鷹の太宰治文学サロンでは「グッド・バイ」の企画展示がされています。2013年9月16日まで)。

東京・三鷹 太宰治文学サロン

私は「グッド・バイ」が好きなので、オマージュ作品とわかり、勝手ながら原作の印象を損なうことがないか、緊張感を持ちつつ伊坂作品を読み進めました。結果として、それはまさに杞憂で、伊坂幸太郎という作家のセンスに感じ入り...、ほんと、あのパンの話のところなんか...もう、なんで、あんなエピソードを考えつくんだ...もう、まったく...この作家の感性は...という感じで茫然としてしまいました。今は他の作品も読み始めています。

読後、ふと、オマージュされる作品とはどういうものかを考えてみました。

ITシステムの世界では、オマージュされるアーキテクチャーなんて洒落た言葉を聞いたことはありません。ただ、ある要件を満たす優れたシステムの構造(つまり、アーキテクチャー)定義は、将来、その構造を具現化する製品が変わっても陳腐化せず横展開され、活用されます(Webシステムを提供する3層のシステム構造[Webサーバー-Webアプリケーションサーバー-データベースサーバー]は代表的な例です)。余談ですが、日本アイ・ビー・エムのアーキテクトのレベル認定審査では、そのようなアーキテクチャーの策定経験も問われることの一つです。

今回、「グッド・バイ」の何が踏襲されたのかを明らかにすることで、優れたアーキテクチャーの中でもオマージュされるアーキテクチャーとは何かを考える材料が出てくることに期待して筆を進めます。


太宰治の「グッド・バイ」とは

太宰作品が好きな人は皆、太宰治の「グッド・バイ」について、同じような感想を持つようです。私も、その軽妙な文体かつストーリーから、太宰自身の中で何かが吹っ切れたような、迷いのない道を進みはじめた印象を受けています。

「グッド・バイ」は、新聞連載の予定で書き始められ、死の前日までの13回分で中断されています。未完の絶筆と言われる所以です。大まかなあらすじは、次のようなものです。

「十人の愛人を作って、どうにもこうにも首が回らなくなった田島は、いっそのこと全部いっぺんに別れて田舎から妻子を呼び寄せて静かに暮らそうと決意する。だが、そんな簡単に皆と一時にグッドバイとなるものか...。考えた結果、普段は男のようにあさましくしかも汚いが、実は絶世の美女・キヌ子に妻役を演じてもらい、それぞれの愛人のところを一緒に回るという作戦にのりだすのだが。」(http://www.bungo.jp/goodbye/ より)


伊坂幸太郎「バイバイ、ブラックバード」が踏襲した構造

さて、私は小説を構成する要素として広く認められている定義には精通していないため、ここでは、「グッド・バイ」と「バイバイ、ブラックバード」において、共通する内容を取り上げ、両者の基本構造を明らかにします。

構成要素IT用語両作品に共通する内容
主人公の目的 要件 新しい世界に踏み出すため、すべての愛人と別れる必要がある
登場人物 アクター ・女性受けする憎めない多情な男
・千差万別の各愛人
・圧倒的な特徴を持ち、主人公とは恋愛関係が発生しそうにない女
別れの告げ方 ユースケース 愛人一人一人に唐突に別れを告げる
別れるために用いた手段 適用メソッド 相手の女性の意思をくじくほどの圧倒的な特徴を持つ女性と連れ添うことを伝える

このように表現すると基本構造は明確になったものの、見事に味気なくなりました...。この構造だけでオマージュ作品を描きたいと思う人は稀でしょう。

次回は、この構成要素に対して、太宰治と伊坂幸太郎が、どのような言葉を使って作品を作り上げたのか、比較しながら見てみたいと思います。
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