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石巻の夜(後編)(持続的な成長を目指すために)

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中編に続き、石巻の夜 後編(番外編含む)です。時間の余裕があり、当初の予定にはなかった箇所を回りました。



航空自衛隊松島基地 ブルーインパルス

ブルーインパルス格納庫

約30機の航空機が水没した松島基地へ。2013年3月30日に松島基地を本拠地とするブルーインパルスが帰還しています。事前に予約しないと基地には入れなかったため、今回は格納庫を外から見るのみでしたが、次はその勇姿を見たいと思っています。


JR東日本 仙石線跡
野蒜駅周辺

仙石線の野蒜(のびる)駅周辺から松島へ向かう途中の踏切です。津波で壊れてしまった踏切で、今後はこの場所を仙石線が走ることもないとのことですが(内陸側に移される)、 多くの車がこの踏切で一時停止をしていることが印象的でした。





石巻を振り返って
その後、景勝地の松島へ立ち寄り、「父の日」に自由な時間を与えてくれた家族に感謝しつつ、仙台へ戻ります。実際にその場を歩くことで、気づくこと、考えることがたくさんある旅となりました。復興が進んでいないと一言で片付けるのは簡単ですが、復興が進んでいるところもありますし、街の灯りを絶やすことなく営業している店舗や工場もあります。ただ、一方で、平原となって手つかずのところもあります。

戦後の焼け野原からの復興と重ねられたりもしますが、人口の多い都市の復興とは異なるものがあるような気がしました。人口が流出しているこの地域の復興は、自発的に行うにも限界があるように思います。少なくとも、人の心を明るくするかたちでの復興が先決ではないかと思いました。
東北に私の家のルーツが少しあるということも理由にして、また訪れたいと思っています。



番外編:夜更けのホテルで
太平洋を臨む
初日の石巻の焼き鳥屋さんの後、もう一軒行きたかったところですが、お互い少々疲れたのでホテルへ戻り、早めに床に就くことに。しばらく、その日に訪問した被災地や当時の津波の映像を調べていたのですが、突然、他の部屋のドアを叩く音と男女の言い争っているような声が聴こえてきました。やがて、その声も聴こえなくなったので、自分も寝入ったのですが2時過ぎくらいにふと目が覚めたので、再び次の訪問先の被害状況や当時の映像を調べ始めようとしました。その瞬間...。別部屋のドアがガチャッと強く開かれた音。そして、

「ぎゃぁあああああああぁ!」

と叫びながら走り出す女性が…(声が近づいてきて遠ざかっていく...)。
そしてそれを追いかける、もう一人の足音も。
震災のことを調べ気持ちが落ちていたときに、この突然の悲鳴で背筋に悪寒が走りました。

(や、やばい?! 刺される?!)

その光景が脳裏に浮かんだ直後、

「しーーーっ、しーーーっ、しーーーっ」

と。

(???)
(なぜ、しー、しー、する?! しー、しー、しながら刺すものなのか?!)

なんだかよくわからないものの、こちらもドキドキしてしまい、ただ、ドアを開ける勇気も出ず、耳をドアに押し付け、情報収集に務めました。いや、しー、っという時点で、切迫感は一気に下がったので、ドアを開けようとも思ったのですが、開けた瞬間、その隙間に顔があったら…という妙な想像をし、結局開けられませんでした(ドアには覗き窓がついていなくって...)。
フロントに電話をかけようかと逡巡していた頃、ガチャッと別のドアの開く音が。おじさんの低い、落ち着いた声が発せられました。

(おじさん)「大丈夫?」
(きっと若い男)「だいじょうぶです。なんか夢にうなされたみたいで…」
(私)(大丈夫じゃないだろー。どんだけ怖い夢なんだ…それならその夢が怖すぎる)
(おじさん)「警察呼ぼうか?」
(きっと若い男)「すみません、だいじょうぶです」
(おじさん)「彼女の方も大丈夫?」
(彼女)「はい、だいじょうぶです」
(私)(え?だいじょうぶなんだ…)

そのあと、勇気あるおじさんは引き下がったようで、再び静寂が訪れましたが、完全に目が覚めてしまいました。もしかしたら、今の声はYの声だったのだろうか。あいつなら、勇気を持って、立ち向かっているかもしれん、と思いこっそり心強く思っていました(部屋は別でした)。翌朝聞いてみよう。

でも、どういう状況だったのだろう、としばらく考えました。ベッドの下から、ストーカーの男が出てきたのだろうか。それとも、男が驚くべき行動を取ったのだろうか、と。何かカミングアウトしたとか…。

ふと、テレビをつけると、深夜番組で沖縄戦の特集がされています。こんなタイミングで…と思いつつも見入ってしまいました。さらに気持ちが落ちます。その番組も終わり、ラジオをつけると、今度は病気の母を抱えた娘の体験談が…。
なんて日だ?!と思いつつ、ようやく娯楽系のラジオ放送を見つけ、気持ちを切り替えました。

女川湾 堤防

震災後、しばらくは自粛や不謹慎という言葉のもとに娯楽を求めることが世間では避けられ、おそらく多くの人もそんな気分にはなれなかったかと思いますが、気持ちを前に向かせるために、辛い状況の中では必要なのだと、こんな体験を通して実感します。
多くの有名人が被災地を訪問していることがTVで報道されていて、これまであまり感想を抱くこともなかったのですが、その行動の意味が理解できました。


その後、ようやく眠りにつき、明け方、再び悲鳴を聞いたような気がしましたが、それは聞かなかったことにし、朝食時にYと、その夜中のできごとについて話しました。

どうやら、Yも怖くてドアを開けられなかったと…。ドアに覗き窓がなくてさぁ、と言う彼もまた人の子だと、少し安心しました。

おそらく、そのフロアに宿泊していた多くの人がドアのそばで聞き耳を立てていたはず。もし助けて、と言われたなら、自分は果たしてドアを開けられるだろうか、考えました。今回、抗体ができた気がするので、次は何かしらの武器を持ち、ドアノブに手をかけたいと思います。
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