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「これまで誰も教えてくれなかった受験勉強をしなければいけない本当の理由」から(前編)(持続的な成長を目指すために)

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これまでの人生で自分の生き方にいい影響を与えてくれた先生が何人かいます。その恩師の一人である、予備校講師の伊藤賀一先生の新刊(「これまで誰も教えてくれなかった受験勉強をしなければいけない本当の理由」)は、受験生だけではなく、社会人にも示唆を与える内容となっています。

これまで誰も教えてくれなかった受験勉強をしなければいけない本当の理由

その内容で励まされる方もいるかと思い、その紹介をしていきたいと思いますが、この機会に伊藤賀一先生との出逢いを言葉として残しておきたいと思います(全2回に渡ります)。

高校時代、大手の予備校の一方向的な授業に面白さを感じられず、小さな塾を探していた私は、東進ハイスクール英語科講師の永田達三先生が開いた英語専科塾「永田塾」の門戸を叩きました。1995年、高校二年生だった私に「永田塾」からの講座案内の封筒が届いたことがきっかけでした。当時、永田塾は東京・高田馬場と早稲田の間にある、オフィスビル(マンションだったかな?)を改造して教室を備えたような外観で、住宅地の中に校舎がありました。

翌年、永田塾は、Loysという名称に変わり、綺麗なビルに移転しました。Loysとは"Love of yourself" の略と永田先生より説明を受けましたが、そんな名称を予備校名に付けるんだ?!と思いつつ、2つしかない教室と、廊下にある自習用に並んだ机で高校3年の放課後を過ごしました。下の階がスタジオになっていて、夏期講習中は矢沢永吉の声が何時間も聴こえてくる環境でした。

そんなLoysで出逢ったのが、英語塾のはずなのに、日本史の講師をされていた伊藤賀一先生です。がいち先生と多くの生徒から呼ばれ、最初は遠巻きに眺めていたのですが、楽しそうな雰囲気が羨ましくなり、自分も日本史の講座を取り、次第に気にかけてもらうようになったのでした。当時の先生は、24歳くらいだったでしょうか。今、振り返ると、とても若かったのだなと思いますが、年齢を意識させず、自分の授業に自信を持ち、板書に逃げずに生徒ときちんと向き合う先生でした(そもそも、仕事のできる人というのは年齢を感じさせないものなのかも知れません)。

休み時間や授業後はいつも生徒が取り囲んでいました。もちろん、授業は爆笑講義、とも言われているくらい。あっという間に時間の経つ、楽しい時間でした。自分が歴史に興味を持ったのもこの先生による影響がとても大きいと思います。

賀一先生は、多くの生徒がいる中で、すべての生徒の名前を覚えており、名前を呼んで質疑応答をしながら授業を進めて行く、というスタイルを取られていました。そのため、生徒はお互いのことを知らなくても、教室全体がアットホームな雰囲気となります。

名前を覚えてもらう、そして呼んでもらえるというのは嬉しいものです。自分が相手している多くの人の名前を覚えるというのは、組織のリーダーにも求められるスキルと思います。
当時の私は居場所を見つけられた、と喜びました。

さらに、中学から男子校だった私には、女子高生たちと話せる、というだけで共学の楽しさとはこういうものか!と興奮していたのでした(そこが目的だったんだろ?と言われます)。

自分の通っていた学校が、褌着用で館山で水練をやっていたので、あだ名として「フンドシ」と呼ばれたときもありました。

そういじられることさえ、喜ぶマゾとなっていました。マゾです。マゾでも良かったんです(楽しかったから!)。

そんなわけで、授業のない日も、自宅から1時間半かけてこの塾に通い、大学受験終了後、塾のビラ配りまでやっていたくらいです。

当時の塾の様子を先生は次のように前書で振り返っています。

「大学卒業後は高田馬場の難関大受験専門塾で、ほぼ24時間徒弟制度。初任給は何と3万円、ある月に試しにタイムカードを打ってみたら、512時間勤務していました(2013年現在の法廷労働時間は週40時間)。」

確かに色んな仕事をされており、いつも賀一先生の姿がそこにありました。

私の記憶に残っている賀一先生の言葉は、次のような内容です。

  • 10代の頃から教壇に上がってきた(何かを始めるのに早すぎることはない、ということだと思います)
  • 間違えたら、自分のプライドにかけてもう一度間違わないように覚える(生徒の自尊心に訴えていました)
  • 失敗しても、いつか話のネタになる(挫折を乗り越えろ、ということだと思います)
  • 国際化と言っても、自分の国の歴史のことも説明できないでどうする?
  • 活字中毒だから大量に本や雑誌を読む(本をたくさん読むように、と仰っていたように思います)
  • 賀一だからがいちゅう〜、と馬鹿にされた(本当かどうかはわかりませんが、なぜか記憶に残っています)

生徒への単純な勉強の押しつけではなく、なぜ必要なのかを自分の腹に落とした上で話をされていたように思います。
その背景に生々しい経験談があり、それが生徒たちの共感を呼び、信頼を増していました。

私はこれらの言葉を受けて、教育学部へ進学が決まった自分も同じように、高校卒業直前に塾の講師へ応募し、講師を始めました(私の高校ではアルバイトが禁止されていたため、このような出だしはきっと珍しいほうだと思います)。気がつくと、自分も同じメッセージを生徒たちに伝えていました。

その後、さらに様々な経験を積まれた賀一先生と10年ぶりに再会し、ご本人のホームページ製作を請け負うことになり、今はプロ同士として関係が続いています(現在、賀一先生は活躍の場を拡げ、先日、CMで流れたリクルートが運営するオンライン予備校「受験サプリ」の講師としても登場していますし、新聞連載や一般書も執筆されています)。

さて、前置きが長くなりましたが、前書は賀一先生が仕事のパートナーである、関 正生先生と執筆されています。前向きな話が随所にあり、力の湧いてくる本です。これは、受験生に限ったものではないと感じました。

受験生が大学受験を前提としているように、社会人は毎日のように誰かに評価されたり、逆に評価したり、コミュニケーションが必要だったり、新たな勉強や挑戦が必要だと思います。その観点でいくつか日常に示唆を与えてくれるメッセージを次回、紹介したいと思います。
(続く)

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