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ITの取材現場からインサイトを伝える「エンプラ」編集長ブログ

「Share って何ですか?」──Javaの語り部、ゲイジさんに聞きました

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 蒸し暑いオーランドから東京へ帰る途中、JavaOneが終盤を迎えたサンフランシスコに入りました。ホテルは特に決めていなかったので、結局、編集部・木田くんの部屋へ転がり込むことになりました。

 それにしてもオーランドからサンフランシスコに移動すると、この国の広さを嫌でも実感します。なにせ5時間半です (-"-)

 空港(SFO)からダウンタウンへの移動は、最近よくBARTを利用しています。もともとサンフランシスコと湾を隔てたオークランド側(あのカリフォルニア大学バークレー校やアスレチックスのスタジアムにも駅があります)を結んで運行してきたのですが、空港まで乗り入れてくれたおかげで大助かり。昼間は15分おきに出ていて、わずか4ドル95セント。30分でパウエルストリートに着きます。

sanfran01  パウエルからだともうJavaOne会場のモスコーニコンベンションセンターは、歩いて5分くらいです。朝夕は深い霧に包まれるサンフランシスコですが、日中は写真のように爽やかな青い空が広がります。この時期のオーランドとは別世界です。

 そのまま、荷物をゴロゴロ引っ張りながら、出張してきているブロガーの熊谷さん(豆蔵)たちとコンベンションセンターの近くにあるアジア料理系フードコートでランチしていたところ、当地在住のブロガー、Jさんとバッタリ。世の中、狭い狭い。

 プレスルームに顔を出すと、いつものように日経BPの星さん(Java星人!)がいらっしゃった。

 「いろんな人に“お子さん、生まれたんですね”と言われるので、“どうして知ってるんですか?”って聞くと、“浅井さんのプログに書いてあった”と言うじゃないですか」と、なかなかうれしそう。さっそくノートPCに入っている長男の写真を見せてもらいました。

(@_@) 「研究開発のShare」を子どもから学んだマクニーリー

 JavaOneの終盤、Sunのチーフリサーチャー、ジョン・ゲイジ氏を囲むグループインタビューがあるというので、急きょ参加した。BSD UNIXの生みの親であり、Sunの共同創業者だったカリスマ、ビル・ジョイ氏の先生役だったといわれる彼は、JavaOneのホスト役として知られる。つまり、Javaの語り部だ。

gage01  「昨晩、ブラジルのプレスと飲み過ぎた……」とゲイジ氏。いつにも増して話の飛び方が激しいが、あくまで知的かつ丁寧に答えてくれた。

 今回、SunはJavaOneを通じて自社の新しいメッセージである「Share」を強く打ち出している。

 「Shareとは? 元々科学者や技術者というのは、研究や開発の成果をほかの人たちが使えるようにする、つまり“Share”することを誇りとしてきた。われわれが構築しようとしているのは、庭みたいもので、何千もの新しい花を咲かせたいんだ」(ゲイジ氏)

 しかし、ビジネスの人たちは、研究や開発の成果から利益を得ようとする。当然のことながら、Sunのスコット・マクニーリー会長も例外ではないが、彼は今回、「豊かな国が貧しい国とShareしよう」と訴えかけたという。

 ゲイジ氏によれば、Javaの誕生10周年を祝う今年のJavaOneは、技術者の比率が高いという。会期中、彼はしばしば技術者たちから「アフリカで何かやりたい。いろんなアイデアがある」といった意見を耳にしたという。

 「スコットはこれまでにもコードのShareはだれよりも推進してきたが、Sunのリソースを世界でShareしようという姿勢が生まれた」とゲイジ氏。

 「なぜ? 彼は子どもから学んだ。幸せな家庭を築こうとする中で学んだのだ」

 マクニーリー会長の長男は、Javaが正式デビューした年、つまり1995年の秋に生まれた。ちょうど64ビットSPARCを搭載したワークステーションのローンチイベントの朝だった。もちろん、マクニーリー氏は病院に駆けつけ、イベントは当時ハードウェア部門のトップだったエド・ザンダー氏に任せた。インターネット革命の前夜に行われたこのイベントは、異様な熱気を放つ混沌の中にあった。その場に居合わせた私は、身震いしたのを思い出す。

 その後、マクニーリーに連れられてJavaOneのステージにも登場したことのある彼も今年10歳となる。

 ほとんどのJavaOneのホスト役を務めてきたゲイジ氏は、「元々プログラミング言語だったJavaが、人々の生活を変えるまでになったことをうれしく思う」と目を細めた。

( ..)φメモメモ この日お世話になった広報マン

サン・マイクロシステムズ 杉本さん

 以前は外資系自動車メーカーで広報マンを務めていたという異色。今年サンに入社したばかりで、JavaOneも初めてですが、インタビューのセッティングなどでは凄く頑張っていただき、日本人プレスには多くの取材機会があったそうです。ありがとうございました m(__)m
 ただ、少しだけ厄介なのは、名前です。同社マーケティング本部長の杉本さんと、漢字では一字違うのですが、読みは全く同じ。
 社内では上司が「チャーリー」、部下は「トニー」と呼ばれているそうです。もちろんメルアドもこれです。
 チャーリーさん、トニーさん、JavaOneお疲れさまでした。

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