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「三島由紀夫 幻の遺作を読む」もう一つの『豊饒の海』?ちょっと違うな。

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正月に読んだ新書の中からの一冊。三島由紀夫 幻の遺作を読む もう一つの『豊饒の海』 (光文社新書) [新書]

三島本は数限りなくあるがまたまた題名に惹かれて購入。膨大に残された三島の「豊饒の海」に関する創作ノートを読み解き、唯識や阿頼耶識といった仏教思想を絡めながら、第4巻「天人五衰」の別版を仮想する。三島は豊饒の海の執筆に沿って23冊もの創作ノートを残している。「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の4巻を昭和40年から45年の自決までの間に執筆した際にその構想や詳細のデータの他に並行して行われた盾の会の活動や自衛隊への体験入隊などのことも書きこまれている。作者はこの創作ノートで特に最後の「天人五衰」について本作との違いが大きいことに眼をつけて、創作ノートに基づいた仮想の第4巻を試みる。内容は本作とは全く違ったもので、月修寺での聡子と本田が対峙しての結末も失われている。

作者の井上氏は長年に渡って三島を研究してきた専門家である。三島作品を創作ノートまで含めて読み込んだ上に熟考を重ねている方なので、その見解については尊重するが、三島本人が自決してしまったからにはだれも反論できない状況で、残された創作ノートを根拠に別版を作ることにどういった意味があるのだろうか。透の存在や転生の真実についてはそれぞれ読者に判断が任されている部分があったし、結末の聡子の述懐も小説の終わりとしては極めて妥当なものだろうと思っている。豊饒の海全体は壮大な構想に基づく幻想小説だと思うが、それを変に理屈づけて凡庸なものに変えて見せる必要はない。もともと創作活動は複雑な精神活動に基づくものだと思う。特に数年に渡って書き続けられる長編になれば、その間に様々な心理的な葛藤や変節があって当然だろう。特に三島の場合は並行して、最終的には自決にまで自分を追い込む極端な行動の時期でもあった。三島の思いは創作ノートなどに書かれたものをはるかに凌駕しているだろう。

小説だけでなく芸術作品というのは作品として残されたものが全てで、その過程で何が起きたかとかノートに何が書かれたかなどは補完的な資料でしかありえない。もちろん井上氏の本意は第4巻の別版を提示することではなく、それを通して三島の考えたことを示したかったのだろうが、あきらかに第9章はよけいなお世話である。かつてMozartの遺作Requiemの未完の後半をジェスマイヤーが凡庸に補作したり、Beethovenの第5交響曲にシンドラーが勝手に「運命」と表題をつけたりしたことが思い出される。当人たちに悪気は無いのだろうがよけいなお世話である。ジェスマイヤーもシンドラーもともに最も彼らの仕えた芸術家のことを一番知っていると信じてのことだが、どちらも無意味であるだけでなく作品を毀損するものでもあった。

内容(「BOOK」データベースより)
三島由紀夫は昭和四十五年十一月二十五日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。その死の当日、遺作となった小説『豊饒の海』の第四巻『天人五衰』の最終原稿が、編集者に渡された。ところが、「創作ノート」と呼ばれる三島のノートには、完成作とは大きく異なる内容の最終巻のプランが検討されていた。近年、調査が進んだ「創作ノート」と、『豊饒の海』の重要なテーマである仏教の唯識思想に基づいて、三島が検討していた幻の第四巻の作品世界を仮構し、そこから三島の自死の意味と、三島文学が書かれ、かつ読まれた場である戦後日本の時空間について再考する意欲作

ところで三島の最後の時期について書かれたものでは椎根和氏の平凡パンチの三島由紀夫 [単行本]の方が圧倒的に面白かったし三島の最晩年を垣間見ることができる。椎根氏が三島の最後の三年間を平凡パンチの担当編集者として多くの行動を共にした記録だ。もちろん井上氏の作品と椎根氏の作品はまったく違った趣旨のもので比べる必要も無いものだが、豊饒の海を書きつつ三島がどういう生活を送っていたかを知るのは大変興味ふかいことだ。

内容(「BOOK」データベースより) 1969年、あの狂乱と闘争の季節。平凡パンチ誌の最後の三島番記者が、自決まで三年間の肉体と精神の素顔を明かし、自衛隊乱入事件の「真実」に迫る。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 椎根 和 1942(昭和17)年2月9日福島県生まれ。早稲田大学卒業。元編集者。「平凡パンチ」「anan」編集部勤務、「POPEYE」編集長、「日刊ゲンダイ」「Hanako」「relax」などの創刊編集長として編集畑を一貫して歩く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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