これからの時代を生き抜いていくには、自分のアタマで人とは違うことを考える能力が必要になると考えています。人とは違うことを考えるためには、多様なインプットが必要です。人間は「人から学ぶ、本から学ぶ、旅から学ぶ」以外に学ぶことができない動物です。このブログでは、特に若いビジネスマンに向けて、わたしが今読んでいる本やオススメの旅について紹介します。

書評:『ハンザ』

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第152回.jpgハンザ
フィリップ・ドランジェ (著)

 僕たちはともすれば現在の国民国家をベースに人類の歴史を遡りがちであるが、実は国民国家の歴史はまだ200年前後しかなく、それ以前はハンザ(商人団体が原義)や倭寇のような海洋共同体が重要な役割を担っていた。何故なら古来より交易は水路が中心だったからである。現在のドイツは16の州からなる連邦共和国であるが、内2つは自由ハンザ都市である(ハンブルクとブレーメン)。12世紀半ばから17世紀半ばにかけて北ヨーロッパ交易を支配したハンザ共同体は今でも生きているのである。本書は、この人類史上最大にして最長の商人・都市共同体のすべてを詳述した決定版である。

 本書は3部構成をとっている。第Ⅰ部「商人ハンザから都市ハンザへ」は、勃興期(1150年頃)から最盛期(1400年頃)に向かうハンザの歩みを描く。第Ⅱ部では、最盛期(14,15世紀)のハンザを、組織、都市、船舶・航海・船主、商人、ハンザの経済政策、ハンザの商業、ハンザの文明の7項目に分けて述べる。そして第Ⅲ部は、「危機と衰退」と題して1400年から1669年(9都市が出席した最後のハンザ総会)までの経緯を記す。

リューベックが率いたハンザは、14世紀の最盛期には200近い都市を擁し(ドイツ騎士修道会が唯一の諸侯であり、例外であった)、バルト海から北海に至る長大な交易路を支配した。ノヴゴロド(ロシア)、ベルゲン(ノルウェー)、ブルッヘ(フランドル)、ロンドンには活動の拠点となるハンザ商館が置かれた。東欧の毛皮、蜜ロウや北欧の塩漬けニシン、干ダラなどがコッゲ船で西方に運ばれ、西欧の毛織物や塩が東方に運ばれた。バルト海と北海を結ぶエアソン海峡の通行を巡ってデンマークやスウェーデンと争いが起こった時は、リューベックとハンブルクを結ぶ運河が使われた。
 
 ハンザの衰退は、モスクワ大公によってノヴゴロドの商館が、またブルゴーニュ公やオランダ商人によってフランドルの商館が15世紀末に滅亡したことに始まり(この東西2つの商館がハンザ体制の二大支柱であった)、16世紀末になると、軍事的にはイングランドやスウェーデンに大差をつけられ、商業上はイングランド人とオランダ人に凌駕されてしまった。そして、大国が入り乱れて介入した17世紀前半の30年戦争がハンザにとどめを刺した。大国が興隆してくる中で、恒常的な財政や陸海軍を持たず固有の官僚組織や統治機構を持たない中世の緩やかな共同体はなす術がなかったのである。著者は次のように締め括る。「ハンザの消滅に驚くくらいならばむしろ、ハンザが長く続いたことに驚嘆すべきである」「あれほど多く、あれほど多様で、あれほどお互いに離れていた都市が、ほぼ500年にわたって、一つの活動的な結束を維持し、自由意思で加入した共同体に忠実であり続けることができたのは、尋常なことではない」と。その通りであろう。

 この名著(学術書)の翻訳には10年以上の歳月を要したという。7名の共訳者と出版社に深い敬意を表したい。トランプ政権によって自由な交易に黄信号が灯っている今日、自由な交易を求め続けたハンザ共同体の歴史を紐解くことは決して意味のないことではないだろう。タイミングよく「中世ハンザ都市のすがた」(朝日出版社)という大型絵本も出版された。合わせて読めば、盛期のハンザが脳裏に蘇るのではないか。

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