これからの時代を生き抜いていくには、自分のアタマで人とは違うことを考える能力が必要になると考えています。人とは違うことを考えるためには、多様なインプットが必要です。人間は「人から学ぶ、本から学ぶ、旅から学ぶ」以外に学ぶことができない動物です。このブログでは、特に若いビジネスマンに向けて、わたしが今読んでいる本やオススメの旅について紹介します。

書評:『異端カタリ派の歴史』

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第149回.jpg異端カタリ派の歴史
ミシェル・ロクベール (著)

 読者の皆さんは、「異端」という言葉からどのようなイメージを連想されるだろうか。おそらく、おどろおどろしいイメージの類ではないか。しかし東欧で興り(ブルガリアのボゴミル派)、11世紀に西欧に伝播したキリスト教の一派、カタリ派は、聖職者(完徳者、完徳女)自らが額に汗して働き、力を否定し純粋な神への愛を共有する原始キリスト教共同体のような良き人たちの集団であった。本書はカタリ派の歴史に真正面から取り組んだ700ページを超える力作で、間違いなくカタリ派の全貌を現代に蘇らせた決定版である。なお、カタリという言葉はこれまで清浄を意味すると解されてきたが、著者によるとカタリ派の敵であるローマ教会が下痢(悪徳を垂れ流す)の意味で用いたそうだ。

 カタリ派はローマ教会から徹底して敵視された。それはカタリ派が二元論を信じていたからである。神は天、霊、魂を造ったが、地、肉体、物質は悪しき神が造った。彼らは「ヨハネによる福音書」を根拠に、肉体(物質世界)という悪しき牢獄を脱して真の故郷である天に還ることが人間の救いだと説いた。そして12世紀の南仏(ラングドック)に、寛容なトゥールーズ伯レモン6世(在位1194-1222年)の黙認の下、シモーヌ・ヴェイユが「一種の奇跡」と呼んだ素朴な信仰共同体を成立させた。そして、カタリ派の人口比はもっとも好条件の環境下(村落)においては50%にも達したのである。

 これに対してローマ教会は、異端審問を制度化しアルビジョワ十字軍を送ってカタリ派の殲滅(改宗か火刑)を図る。神の三位一体性を基軸にキリスト教神学を打ち立ててきたローマ教会は、早くも2世紀頃から現世を悪とするグノーシス派などの二元論と戦ってきた経緯がある。中世の封建秩序(三位一体性にもとづく「祈る人、戦う人、働く人」の3区分など)の保証人であったローマ教会には、初めから平和解決を図る気持ちなど微塵もなかった。こうしてカタリ派の歴史は、酸鼻をきわめる迫害の300年史となったのである。
  
 本書は、二元論的異端の勃興、十字軍、異端尋問の3部から成っている。1198年に登極した教皇イノケンティウス3世は、異端との戦いを一瞬たりともやめようとはせず、1208年には十字軍の招集を最終的に決断し、異端幇助者たち(南仏の地方領主)の財産を没収するというアメを十字軍に与えた。かくして、シモン・ド・モンフォールが大活躍する。アラゴン王ペドロ2世はシモンと戦って、まるで馬上槍試合のように落命した(1213年)。しかし15年を費やしたアルビジョワ十字軍は最終的には敗退する(1224年)。南仏全体を接収するためには、やはりフランス王の出馬を仰ぐしかなかった。こうして異端撲滅とフランス王家による南仏併合が同時進行したのである。1229年のパリ和約によって、シモン7世の広大な領土はフランス王ルイ9世の手に渡ることになった。1244年にはカタリ派の拠点、モンセギュールが落城する。そして、フランスのラングドック進出が最終的に完了したのは1258年のことであった。

 本書には豊富なエピソードが散りばめられていて読者を飽きさせない。例えば、異端審問を契機に弁舌の巧みな聖ドミニコが登場したのである。また、フランス王フィリップ・オーギュストとイノケンティウス3世の虚々実々の駆け引き。トゥールーズという魅力的なラングドックの主邑。そして異端の撲滅には時間がかかり、最後の良き人が火刑に処せられたのは1329年のことであった。本書を読んで「オクシタニア」(佐藤賢一)や「旅涯ての地」(坂東眞砂子)を再読したくなった。

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