これからの時代を生き抜いていくには、自分のアタマで人とは違うことを考える能力が必要になると考えています。人とは違うことを考えるためには、多様なインプットが必要です。人間は「人から学ぶ、本から学ぶ、旅から学ぶ」以外に学ぶことができない動物です。このブログでは、特に若いビジネスマンに向けて、わたしが今読んでいる本やオススメの旅について紹介します。

書評:『ムハンマド』

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第124回.jpgムハンマド
カレン・アームストロング (著)

 1年に約33,000人もの人がテロの犠牲となっているが(2014年)、犠牲者の約80%は、イラク、ナイジェリア、アフガニスタン、パキスタン、シリアの人々である。いずれもイスラームの影響が強い国で、テロ組織であるISĪLの指導者は嘗てのイスラーム帝国のリーダーであったカリフを名乗っている。イスラームに世界の耳目が集まっているが、何事であれ物事の本質を理解するためには、その始源の姿を学ぶことが大切だ。本書はイスラームの創始者ムハンマドの出色の伝記である。しかも、著者は元ローマ教会の修道女という異色の経歴を持っているのだ。

 第1章「マッカ」では、愛妻ハディージャと穏やかに暮らしていたムハンマドに、610年の運命の夜、神の啓示が下りるまでが描かれる。ムハンマドとハディージャの相互の深い信頼と愛情が平明な言葉で綴られる。何と温かな思いやりに満ちたカップルだろう。ハディージャがいたからこそ、ムハンマドは怯むことなくアッラー(神)と対峙できたのである。第2章「ジャーヒリーヤ」(無明時代、イスラーム以前の社会)では、この言葉の第一義が「怒りっぽい気質」、傲慢さや慢性的に暴力と報復を行う傾向であることが示される。クルアーンはこれに対してヒルム(堪忍)をもって行動するように促した。しかし、ムハンマドや信徒(ムスリム)に対する迫害はやまない。第3章「ヒジュラ」、ついにムハンマドはマッカの北方にあるヤスリブ(マディーナ)へのヒジュラ(移住)を決意する。622年のことであり、この年がイスラーム暦の元年となった。

 第4章「ジハード」、マディーナとマッカの戦いが始まる。ムハンマドは「我々は小ジハード(戦闘)から戻り、大ジハードに向かうのだ」と述べたが、ジハードは本来、社会と心を改革するための奮闘を指す言葉である。クルアーンは、武力衝突の間でさえも、絶えず慈悲と寛容の大切さを主張している。また、クルアーンは、ほとんどの欧米の女性たちが19世紀まで享受することができなかった法的地位を女性たちに与えようとしていた。一夫多妻制は、寡婦や孤児を救う社会立法の一部であったのだ。第5章「サラーム」(平安)、マッカとの争いは止まずマディーナでもムハンマドに反対する者の策謀が止まない。628年、ムハンマドは素手でマッカへの巡礼(ハッジ)を敢行する。ムスリムの特徴は、平和と自制の精神にあるのだから。ハッジは最終的に成功してムハンマドの声望は高まり、630年、マッカは降伏する。そして632年、ムハンマドは、マディーナの自宅でハディージャの死後迎えた愛妻アーイシャの腕の中で静かに生涯を閉じた。

 本書の魅力は、決して完全な人間ではないムハンマドの生身の生涯を描いている点にある。ムハンマドが、まるで現代に生きているような錯覚を覚えるほどだ。ムハンマドは、剣に基づくことのない「イスラーム」―平和と調和―という名の宗教と文化伝統を創始したのである。

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