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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

久し振りに北アルプスを眺めた話

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先日長野県は松本に出張する機会があった。僕にとっての松本と言えば、登山基地の町であり、北アルプス上高地あたりから下山して来て、帰京の列車に乗る前のひとときを過ごすのが常であった。過去に何度となく立ち寄ったものだが、登山らしい登山から足が遠のいてからおそらく10年以上振りで(いやもっとかな)、出張のために訪れたのは初めてである。駅舎も大分変わっていて、高架上の改札口付近から、案内板付きで遠く山々を眺めることができる。初めて北アルプスに足を踏み入れた、燕(つばくろ)岳~常念岳~大滝山の稜線がよく見える。特段に険しいところがなく、北アルプス初心者には適したコースだったろう。途中にあったピラミッド型の常念岳は、独立峰的に他の山々からは少し距離をおいているので、案内板がなくても遠くからよくわかる。11月後半ともなると頂近くは既に雪を抱いていて、かつての僕のような一般の登山者は既にうかつに立ち入ることはできなくなっているのだろう。それらしい姿の人が街中を闊歩するシーズンではなかったようである。

常念岳は頂で初めてご来光を拝んだ山でもある。標高2857メートルの山頂から約400メートル下ったところに峠の山小屋があって、山頂までの標準的な所要時間は1時間というところか。日の出時刻は5:00くらいなので、想定どおりだとしても4時前には山小屋を出立しなければならない。細々とした裸電球が灯る山小屋から、懐中電灯を持って暗黒の中に出て行くというのは、未知の領域に踏み進む冒険のようであった。水平方向には星が密集したような町の明かりと、彼方の稜線沿いに建つ山小屋の明かりがぽつんと見える。空には満天の星のはずなのだが、近視の目には残念ながらあまり良く見えない。それでもわずかながらの月明かりのために、空の闇にも濃淡があって、その境界線に目を凝らしながら天を仰ぐと、壁のように立ちはだかる頂を認めることができるのだった。色彩が全く無い闇と光だけの世界の中で、自分と背後を来る友人の足音が全てであり、ルートだけは外してはいけないと懐中電灯を照らしながら次に足を踏み出す方向を見定めてひたすらに歩く。日の出1時間前にもなると東の方向が白々としてきて、空の半分近くが明るくなってくれば懐中電灯は不要になる。何とか日の出前に頂に到着すると、後はウィンドブレーカーに身を震わせて待つばかりだ。

日の出そのものは何の変哲もない自然現象に過ぎないのに、何十年も昔の体験を昨日の事のように思い出すことができる。松本駅から常念岳を眺めていて、またなんだか登りたくなってきたのだが、装備はもう使い物にならないだろうし、何よりも体力が伴うのかどうか自信がない。せめて下山後の行事だけでも追体験しておこうと、同行した後輩と信州そばを試そうと計画した。昔と違うのはインターネットでたちどころに店の所在だけでなく、口コミ評価も知ることができる点だ。松本城近くの蕎麦屋を選定し、さすが本場のは違うと舌鼓を打つ。それにしても街並みの向こうに常に北アルプスがある風景も悪くない。かつては下山して遠くなった山並みだったのだが、今回のは10年以上の時と3時間の列車移動を超えて接近した山並みである。蕎麦だけで帰るけれど、近いうちにきっと登りにくるからな、と思って松本を発ったのであった。

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