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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

投資の心得

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その世界に関わっている人によると、投資はギャンブルではないらしい。予想し得ない不確定な要素によって結果が左右される点なんかは、まさにギャンブルではないかと思うのだが、社会・経済状況を科学的に分析し判断を行なうところが違うのだそうだ。では馬の体調や天候を科学的に分析して馬券を買うのは何と言うのだろう。だからというわけではないが、「株はやらないの?」という問いに対する僕の答えは、「僕はギャンブラーじゃないよ」である。いや、今や「であった」と言うべきか。

何で宗旨替えをしたかというと、家庭内に「ギャンブラー」がいて、目の前で月刊の経済情報誌を読み漁り、そしてしぶとく僕に投資を勧める人間がいるのがその理由である。妻はかつて証券会社に勤務経験した経験があり、金融商品に関する知識が豊富にある。もっとも僕の知識は皆無と言ってよいレベルなので、誰であっても僕の指導者は務まる。そして、妻の金融哲学は、どこかの受け売りに違いないと思っているのだが、「金に働かせろ」というものである。どこぞの口座に寝かしておくのではなく、投資して金に働かせて殖やすべく手を打たねばならないのだそうだ。

確かに環境も変わってきた。退職金の積み立て運用は、かつては会社に一任しておけばそれでよかったのであるが、今は自己責任の時代である。自分の資産なんだから自分で運用しなさいね、というお達しである。金融知識が皆無の人間には難しい注文だ。安全確実で間違いなく大きく殖える、などという都合のよい金融商品なんかあるわけがないので、結局は全額を積立定期預金にしようと判断してみたりする。これでは金は働いているとは言えない。

そこで妻があまり強く勧めるものだから、小額ながら資産の一部を投資信託や株に投資することにした。元手が保証されない金融商品に手を出すのは気が引けたのは事実である。でも、これから退職する団塊世代の退職金が大量に金融市場に流れ込むとも言われているので、ちょいとブームに先駆けておくか、といった気分である。だからと言って、デイ・トレーダーよろしく朝から晩までインターネットの金融情報にかじりついているわけにもいかないので、売り買いの頻度は月に一度も行かない。でも保持している投資信託や株の評価額は頻繁にチェックしていて、上下すると思わず一喜一憂してしまう。こういうところは素人なのだそうだ。少々の上下は重要ではなく、もっとどっしりと構えていなくてはならない。長期的にどうなるかを見極めろというのが、元プロの視点らしい。

元プロと言ったところで、自身の累計成績はマイナスかプラスマイナス・ゼロ位のものらしいので、その力量は大いに怪しい。ただここ数年に限れば昨今の株価上昇のおかげで夫婦そろってプラスである。そして投資は、「損すれば自己責任、プラスになればアドバイザーのおかげ」なのだそうだ。これもどこかの受け売りに違いない。

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